3章 Broadway -面影-

3章 Broadway

2-chapter3

12時を少し過ぎた頃、サラはTシャツとスウェットパンツに着替えると、水の入ったペットボトルとバッグを持ってBDSロッカールームを出た。ジャズダンスのクラスを受けるためだ。軽快な音楽に乗って身体を動かすのは、サラにとって最高のストレス発散だった。

クラシックのクラスが終ったばかりの第5スタジオの前を通り過ぎようとした時だった。サラの視界に見覚えのある姿がとびこんだ。彼女は立ち止まると、数歩下がって中を覗き込んだ。

『えっ?まさか、ボス?』

見間違えたのかと思ったが、スタジオから出て来るダンサーたちに混じっているのは、間違いなくエドだった。
『うそっ!彼女がダンサーだって事は知っているけど、彼も踊るの?!』
サラは驚きと好奇心でいっぱいのまま、見覚えのあるその後姿に声をかけた。

「……エド!」

サラの声に、少し驚いてエドが立ち止まって振り返った。
「ああ、やっぱり。驚いた!どうしたんですか?こんなところで」
エドの頭のてっぺんから足元まで視線を動かしながら、言ったあと
「……って、その格好でここにいるならダンス、ですよね?」
と更に目を真ん丸くした。エドは、決まりが悪そうに
「まさか、ここで君に会うなんて……」と言った。
「クラシックのクラスを?」
サラがエドの履いているシューズをチラリと見て聞いた。
「ああ」
「……今のクラスって上級、ですよね?すごい。私はジャズですけど、万年初級クラスだもの」
ため息をつきながらサラが言うとエドは
「僕だって、趣味で続けているだけで、たいしたことないよ」と苦笑いした。
「まさか、ご冗談を!自信がなきゃ、こんなプロがごろごろ混じってるクラス受けられないわ!」
サラは少し大げさ言うと、少しだけ時間を気にしながら、
「ジャズは踊らないんですか?」と聞いた。
「あまり……」
「私、これからジャズの初級クラスを受けるんですけど、どうですか?たまにはノリのいい音楽で踊るのも楽しいですよ」
そう言われてエドは迷ったが、気分転換にはいいかもしれない、と
「そうだね。たまには……」と答えた。
すると、サラは楽しそうに笑って
「こっちです」とスタジオの方にスキップするように歩き出した。

クラスが終ると、エドはサラに誘われるがまま、ラナにいた。
「本当に驚きだわ。あれだけ踊れるって事は、本格的にやっていたんですよね?まさかバレリーナの彼女に教わったなんて言わないで下さいよ」
サラはジンジャーエールを飲みながら感心したように言った。
「……彼女は、僕が踊ることは知らないよ」
「えっ?どうしてですか?」
「とても言えないよ。彼女はプロのダンサーだし」
「あら、もしかして、カッコ悪い自分は見せたくないから、って言う理由ですか?」
サラが聞くと、エドは黙ったまま、肩をすくめた。
「大丈夫ですよ。彼女の前で踊ったって、ちっともカッコ悪くないわ。ボスにそんな自信のない面があったなんて、さらに驚きだわ!」
クスクスと笑いながらサラが言った。

そんなサラの笑顔が、ふとレイと重なると、切なさが波のように押し寄せて来た。サラは、時々レイ似た笑顔を見せる。

エドはカップに3分の1ほど残っていたコーヒーを一息に飲むと、さりげなく時計を見て
「……そろそろ、帰らないと。今日はありがとう」と言って、床に置いていた大きなバッグを持った。サラはにこりと笑うと
「こちらこそ、ありがとうございました。私はもうすこしゆっくりしていきます」と言った。

エドはラナを出ると、ふと空を見上げた。

『レイ、君もこの空の下にいるのか?』

そんな事を考えながら、バッグを肩にかけ直すと、地下鉄の駅へ向かった。
その直後、ラナに入るレイの姿にエドは気づくはずもなく、レイもエドに気づくはずもなかった。

それ以来、エドは時々サラと一緒にジャズのクラスを受けるようになった。テンポの良い曲にのって踊っているわずかな時間、レイを失った痛みから解放されるような気がしたからだ。

もちろんそう思うのは、サラという存在もあった。

レイが去って以来、ずっと楽しいという気持ちで笑顔になることなどなかった自分が、彼女と踊っていると、何故か自分も笑うことができたのだ。そして、ふとエドの頭の中を

『こうしていれば、いつかこの痛みから解放されるのだろうか?』という思いがよぎった。

サラが、なんとなく自分に好意を持っていることにも、エドは気付いていた。提案書を作る手をふと止め、窓の向こうに広がる風景をしばらく眺めた後、デスクに置かれたレイの写真を手に取ると、

「レイ、僕は君を忘れるべきなのか?」と呟いた。

そして、答えを求めるように、レイの笑顔をじっと見つめていたが、やがて小さく頭を振った。

「君を忘れるなど、どうしてできるんだ……」 エドはそう言って写真立てを元の位置へ戻した。

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