15章 微熱 5 -悲しみ-

15章 微熱

chapter15

「……今、何て言ったの?」

レイは、ジェイを見据えると、ゆっくりと静かに
「もう、彼とは会わない、って言ったの」と答えた。

ジェイは、レイの言葉を疑うように

「どういう、こと?」と言うと、眉をしかめながら
「エドは、あの女と婚約するために戻ったんじゃないんでしょう?」と確認するように聞いた。

「……必ず私のところに戻るって、そう言ったわ。ボストンで会おうって」
「それなら、どうして……」
レイは、仕方なさそうにため息をつくと
「ねえジェイ、私はもう彼を悩ませたくないのよ」と言った。
「悩ませるだなんて……。エドが愛しているのはあなたよ?!」
「クリスティは、エドにとって妹のような存在なのよ。放っておくなんてできないわ。それを分かっているのに、私は彼を行かせまいと我侭を言って、彼を困らせたわ」
「そんな……!あなたの言っているのは我侭なんかじゃないわ」
「……私は、自分が傷つくのが怖いのよ。彼を悩ませたくないなんて言って、結局私は、彼がクリスティを選んで、去っていくことが怖いの」
「エドがクリスティを選ぶだなんて……。そんなことあり得ないわよ」

レイはクスリと笑うと、今にも泣き出しそうな声で
「でも、彼は彼女を選んだわ。……私、行かないでって言ったの。嫌だって……。何度も。でも、彼はロンドンに戻ったわ。彼は、彼女を見捨てることなんて出来ない、だから……」と言った。

「仕方なかったのよ。ちゃんとあなたのところに戻るって言ったんでしょ?」
ジェイがなだめるように言うと、レイは指で目頭をぬぐった。

「……私、まだ彼に何も話していないのよ。国籍のことも、母のことも。話そうと思ったのよ、何度も。でも、結局何も話せなかったわ。余計に話をややこしくしてしまいそうで……。彼をもっと悩ませてしまうんじゃないかって。私が何者かを知れば、彼の家は余計に私を認めはしないわ……。第一、バークスフォード家が私を認めない。……みなが私の存在を否定するわ。そんな私と一緒にいれば、エドは何もかも失ってしまう」
と、少し混乱した声でレイが言った。
「レイ、エドは何があってもあなたの手を離しはしないわ」

「……だから、だから私は彼の手を離さなきゃならないのよ。今なら……、私は彼の手を離すことができるわ」

「そんなこと!あなたがいなくなったらエドは……。彼の気持ちはどうなるの?!」

「彼を傷つけるのは、わかってる。……でも、そのほうがいいのよ。私を酷い女だって、そう思えば、私を忘れられるわ。私を恨めば、クリスティを愛せるわ。……クリスティはエドがいなければ生きて行けないのよ。……エドがそんな彼女を見捨てられるはずなんてないわ」

「そんな……!あなたは、あの女のために身を引くって言うの?!」
ジェイが声を軋ませた。

「彼は、幸せになれるのよ。周りの誰からも祝福されて。……私さえいなければ、なにもかも上手くいくのよ」
カップの中に視線を落として、レイは寂しそうに笑った。

「レイ、あなた、一体何を考えているの?……あなたはどうするの?あなたの幸せは?」
悲しげな声でジェイが聞いた。

「私は、幸せよ。……幸せだったわ。その思い出があれば生きていけるわ。私はクリスティじゃない。一人でも、きっと生きて行けるわ」
そう言って、レイは少し冷め始めたハーブティーを飲むと
「……私、アメリカに帰るわ。……エドが日本に戻ってくる前に」と言った。

その言葉にジェイは目を見開いた。
「……まさか、黙って、……エドに何も言わずに戻るつもりなの?」

「彼に会えば……、私はまた離れられなくなるわ……。だから、今……」
レイは言葉を途切れさせると、わずかに顔をしかめた。

「レイ?」
「……朝から、時々お腹が痛くて」
「ちょっと、大丈夫なの?」
心配そうにジェイが聞くと、レイは痛みに耐えるように息を吐いた。
「っ、痛……」
そう呟くと、いっそう顔をしかめ、体を折り曲げるようにしてお腹を押さえた。

「レイ!どうしたの?!」

ジェイが驚いてカウンターの中から飛び出した。レイは今まで経験したことのない痛みに、次第に意識が遠のいていく気がした。
「ちょっと、レイ!大丈夫?!」
「……ダメ、大丈夫じゃ、……なさそう」
苦しそうに言うレイの額には脂汗が滲んでいる。遠のく意識の中で、レイを大きな不安と恐怖が襲った。
「エド……」
呟くようにそう言うと、レイはスツールから崩れ落ちるようにして、床に倒れこんだ。レイが穿いているデニムパンツに血が滲んだ。

ジェイは、顔色を変えると、上のアトリエへ向かって悲鳴のように叫んだ。

「アーロン!アーロン!!」

ただならぬ気配を感じ取ったアーロンがすぐに下へ降りてきた。

「ジェイ、どうしたの?!」

アーロンの視界に飛び込んできたのは、床にうずくまっているレイの姿だった。

「アーロン、救急車を呼んで!急いで!」 ジェイの声に我に返ると、アーロンは急いで救急の番号を押した。

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15章 微熱

Posted by Marisa