16章 夢のあと3 -悲嘆-

16章 夢のあと

chapter16

アトリエの駐車場に到着すると、ジェイはエドの肩を軽く揺らせた。
「エド、起きて」
「ああ……、すまない。眠ってしまって……」
「いいのよ。それより、あなたに話しておきたいことがあるから、ちょっといい?」
エドは不思議そうな顔をして
「話しておきたいこと?」と言った。
「そう。疲れているところに悪いんだけど……、とても大事なことなのよ」

ジェイは、店の鍵を開けて中に入ると、奥のテーブル席にエドを座らせた。
「お腹は?サンドイッチくらいならすぐに作れるわよ」
「ありがとう、でも大丈夫だよ」
「そう?じゃあ、コーヒーを入れるわね」

コーヒーメーカーに豆をセットし、カウンターにカップを出すと、ジェイはエドの向かいの椅子に腰を下ろした。

「……ロンドンに立ち寄ったそうね」
ジェイが聞くと、エドがわずかに表情を変えた。
「……レイから?」
「ええ。クリスティが自殺未遂して、だからあなたはロンドンに戻ったって聞いたわ」
「ああ」とエドは少し渋い顔をして答えた。
「で、どうだったの?お姫様は」
ジェイが聞くと、エドは大きくため息をつき、うんざりしたように
「……騙されたよ。見事にね。彼女は死のうとなんてしていなかった」と言った。

「騙されたって、……嘘、だったの?」
ジェイが片方の眉を吊り上げて聞いた。

「……ああ、僕をロンドンに来させるためのでっち上げだったんだ」
その答えにジェイは、呆然として言葉を無くした。やがて悲痛な面持ちで立ち上がると、エドに背中を向けて

「……そんな、あんまりよ。あんまりだわ!そんなこと!あの子だけが傷ついて、あの子だけが……」と、か細い声で言った。

エドは意味が分からず、戸惑った表情でジェイの背中を見つめた。
「ジェイ、どういうことなんだ?一体、何が……」

ジェイは、自分を落ち着けるように深呼吸すると

「……レイに電話が繋がらないって、言っていたわね?」と聞いた。

「ああ……」

「これからも、……これからも繋がらないわ。ずっと」
「えっ?」
「あの子は、もういないの」
沈んだ声で言うと、ジェイはエドの方へ向き直った。

店の中には、コーヒーのよい香りが漂い始めている。

「いない……?」
ぽかんとして、エドはジェイの言葉を繰り返した。
「アメリカへ、戻ったの。帰国したのよ」
「ちょっと待って、……帰国?……帰国って?」
混乱したようにエドが聞いた。ジェイは、立ち上がってカウンターの向こうのコーヒーポットを取ると、カップにそれを注いだ。そして、エドの前にカップを置くと、再び彼の向かいに腰を下ろした。

見開かれたエドの瞳には、恐れと不安の色が滲んでいた。

「……帰国って、どういうことなんだ?レイの話をしているのでは?」
「あの子は、日本国籍じゃないわ。アメリカ国籍よ」
ジェイは表情を変えずに、少し早口で言うと、コーヒーをひと口飲んだ。
「もう、あの子は日本には戻らない」

「……アメリカ国籍?……戻らない?どういうことなのか、僕には……」
エドは、すっかり混乱しきった声で言った。

「あなたがロンドンに発った日に、あの子は帰国することを決めたわ。……自分がアメリカ国籍だって事を言わなかったのは、言えない事情があったからよ」
ジェイは淡々とした口調で言うと、悲しそうな目でエドを一瞥した。そして、彼から視線をそらして

「あの子からの、伝言よ。“私を忘れて、幸せになって”って」と言うと、それきりジェイは黙り込んだ。

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