17章 約束2 -ニューヨーク-

17章 約束

chapter17

エドは、プリントアウトした資料とプレゼンテーション用のスライドデータの入ったメモリスティックをカバンに入れると、オフィスを出た。

レイを失った痛みをかき消すには、忙しく仕事をする以外、どうしようもなかった。そうしていないと、彼女のことばかりを思い出して、どうしようもなかった。心の中にぽっかりと大きく口を開けた穴の中で、彼女と過ごした日々を思い出しながら、そこに永遠に閉じこもってしまいそうだった。

そんな年末も近いある日、彼の元に1通のメールが届いた。かつてイギリス支社で一緒に仕事をしていた、ジェフリー・マークスからだった。彼は今、アメリカ本社で役員を務めているが、来年の2月で会社を辞め、ニューヨークで会社を設立する、というものだった。そこには、是非、共同経営者としてこちらに来ないか、という文面があった。

「ニューヨーク……」

思わずエドはそう呟いた。

マークスは人柄もよく信頼できる優秀な男だ。彼の誘いに応じて、まず間違いはない。しかも、彼が構えるオフィスはニューヨークだ。彼女を見つけられるかもしれない、と思うとエドはいてもたってもいられなかった。

2つ返事で彼の誘いに応じたかったが、今の仕事を放り出すわけにも行かない。今、抱えている案件すべてが一段落するのは、おそらく来年の春だろう。

彼は、しばらく考えた後、マークスに『来年の春からでよければ是非一緒に仕事がしたい』と返事を送った。マークスからはすぐに返信があり、本格的に動き出せるのは4月以降だから、ニューヨークに来るのはそれで十分だと言う事だった。

エドは、現在の案件が終わり次第、会社を辞めることを決意した。確かに、マークスと組むと言う事は自身のキャリアアップを意味するものだったが、エドがマークスの申し出を受けたのは、自分のキャリアのためではなく、ただ彼女を探すためだった。

そう思うとエドは
「本当に僕はどうかしている」と苦笑いした。

彼にイギリス支社へ異動という辞令が出たのは、2月に入って間もなくだった。おそらく、マークスの抜けた穴を埋めるためにイギリス支社の支社長が本社に戻され、その後任と言うことだろう。しかし、エドは、あっさりとその話を断り、会社を辞めた。

何よりもイギリスには戻りたくなかったし、マークスの会社へ行く事を決めていたからだった。

ジェイはエドからニューヨーク行きを告げられると、
「で、あっさり会社を辞めちゃったってわけ?」と目をまん丸くして言った。
「ああ」
「あなたみたいに冷静沈着な人が、イギリス支社へ行けって言われた途端、会社を辞めるなんて驚きね」
「いや、別に突然決めた事じゃないんだ。ニューヨークのマークスからオファーがあったのは昨年末で、もうその時に決めていた。抱えている案件が終ったら辞めようと」
「じゃあ、イギリス支社へ辞令が出ようが出まいが辞めるつもりだったの?」
「そうだね」

「それで……、すぐにニューヨークに?」
ジェイはグレンフィディックのグラスをエドの前に置きながら聞いた。

「いや、色々と手続きもあるし、……一旦イギリスに行かなきゃならない」
エドは仕方なさそうに言った。彼は、いつもイギリスに『戻る』と言わずに『行く』と言う。

「……いつ、発つの?」
「3月には……」
「そう……。寂しくなるわね……。あなたまでいなくなっちゃ……」
ジェイは寂しそうに呟いた。

「ジェイ……」

「エド、あなたはレイがニューヨークにいると思う?」
「それはわからない。でも、ニューヨークにいれば彼女に会える様な、そんな気がするんだ」
エドはそういうと、まるで自分自身を嘲るように小さく笑った。
「冷静に考えれば、こんなでいいのかって思うよ。本当に……」
「どうして?」
「仕事に、プライベートな感情を思い切り持ち込んでる。持ち込むどころか、感情に流されて会社まで辞めて……」

ジェイはボトルのキャップを開けようとしていた手を止め、黙ってエドを見た。そして、再びキャップを持つ手を動かしながら
「エド、あなたは流されてなんかいないわよ。ちゃんと考えたんでしょ?……仕事だって、無責任に放り出したんじゃないでしょ?きちんと終わらせて引継ぎをして、ぬかりなく処理したんでしょ?」と言った。

氷の入ったグラスに、琥珀色の液体をゆっくりと注ぎながらジェイは
「誰にだって、仕事よりも大事な事はあるわ。人生、感情に流される時も必要よ」と続けた。
「自分がこんな風に、誰かを愛するなんて、ね……。自分にこんな感情があるなんて思いもしなかった。彼女に会うまでは……」
「そうね。恋愛に関してはイライラするくらい奥手で真面目だったものね」

ジェイがそう言うとエドがクスリと笑った。

「よく君にはクソ真面目だって言われた」
「今だってクソ真面目じゃない」
ジェイそう言って笑うと、少し息を吐くようにしたあと真面目な口調で
「……レイは、あの子は今だって、どこかであなたを想いながら生きてるわ。だから、必ずあの子を見つけてやって」と言った。

エドはジェイの視線を捉えると、黙って頷いた。

3月の初旬、エドは日本を発った。何の消息も掴めてはいなかったが、エドはニューヨークにいれば、必ずレイに会える、そんな予感がしていた。

—もうひとつのジゼルの物語 東京編 END

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17章 約束

Posted by Marisa