10章 Gisell III -フィナーレ-

10章 Gisell III

ジョージ・スター・バレエ団のパーティーが終ったのは、午後10時を過ぎた頃だった。パトリックは、タクシーでレイをアパートの前まで送った。

「パトリック、ありがとう」

そう言ってレイはタクシーから降りた。

「今日はゆっくり休むといい。明日、君に会わせたい人がいるから、1時にラナまで来てくれるか?」

「会わせたい人?」

「君にとって幸せをもたらす人さ。心配しなくていいよ」

パトリックがそう言ってにやりと笑うと、レイは仕方なさそうに

「オーケイ……、1時ね。わかったわ」と言った。

「じゃあ」

パトリックは軽く手を振ると、運転手に車を出すように言った。レイは一瞬、躊躇うようにした後、動き出そうとする車に向かって

「パトリック!」と叫んだ。

その声にパトリックは、慌てて運転手に車を止めさせると、

「ローラ?」と窓から首だけ出した。

レイは、少し考えるようにしてから駆け寄ると

「パトリック……、元気で。これからもいい踊りを続けて……」と言った。

パトリックが、その言葉に一瞬きょとんとした顔をした後、

「ああ、お互いに。君もこれからだ」と笑って答えると、レイは少し寂しそうに微笑んだ。

そして、しばらくパトリックの顔を見た後

「……ありがとう、私に踊る機会を与えてくれて。嬉しかった」と言った。

「これからも嫌と言うほど踊らせてやるよ。……じゃあ、おやすみ。また明日」

パトリックはそう言うと、車を出させた。

レイは部屋に戻ると、上着とバッグをベッドの上に無造作に置いた。そしてチェストの上に並べられた写真立てのひとつを手にとると、ソファに腰を下ろし、それを眺めた。自分を見つめるように写真の中に佇むエドの姿を、ゆっくりと指でなぞりながら

「エド……、あなたを愛しているわ、永遠に」と呟いた。

しばらくすると、レイは立ち上がって写真をもどし、キッチンから中身が半分ほど残っているワインのボトルとグラスを持ってきた。小さなテーブルの上にそれを置くと、グラスにワインを注いだ。

テレビもつけず、ただぼんやりと何かを考えるようにしながら、グラスのワインを飲んでしまうと、ボトルに残っていたワインを全てグラスに注いだ。そして、チェストの上の写真に視線を移した。

「エド、あなたは今幸せ?」

そう呟いた瞬間、レイの瞳からは次から次へと涙があふれ出た。レイは立ち上がってチェストの写真を手に取ると、そのまま床に崩れ落ちるようにして声も無く泣いた。

自分ではない誰かと、幸せに暮らしていると思うと、レイは身を切られるようだった。自ら離れてしまった事に対する深い後悔と、悲しみばかりが溢れ出て、どうしようもなかった。

どれほどそうしていたのか、やがて鼻を啜り上げながら、ふらふらと立ち上がると、バスルームの棚を開けプラスティックケースを取りだした。それは、ニューヨークにきた当時から通っている病院で処方された薬だった。それを飲めば、夢を見ることもなく、ぐっすりと眠ることが出来た。

レイは、棚を閉めると、鏡に写った自分を見つめた後

「……私、疲れたわ、とても。とても、ね」と呟いた。 薬のケース持ってテーブルまで戻ってくると、レイはその中身を全て手の上に出し、躊躇うことなくそれをワインで胃の中に流し込んだ。もう、自分がどこにいるのかも、何をしているのかも分からなかった。ただ、何もかも終わらせたかった。

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