7章 Traces -ジゼル-

7章 Traces

2章 chapter7

11月になって間もなくのことだった。その日、夜10時近くまで仕事をしていたエドがオフィスを出ると、携帯がコールした。ケニーだ。

「おい、今どこだ?」

「オフィスを出たところだよ」

「そうか。疲れてるところすまないんだが、ラナまで来られるか?すぐに見せたいものがあるんだ」

少し慌ただしい様子でケニーが言った。

「ああ、わかったよ」

何を慌てているのだろう?と思いながらエドは電話を切るとタクシーを拾い、コロンバスサークルの方へ向かった。

ラナは、舞台がはねた後のダンサーたちで賑わい始めたところだった。

「エド、スーツなんか着てどうしたんだ?まるで別人じゃないか」

彼をダンサーだと思い込んでいるマークが目をぱちくりさせながら聞いた。

「どうって……、仕事だよ」とエドが答えると

「……君はダンサーじゃなかったのか?!」

彼は驚いて目をまん丸く見開いた。エドが苦笑いしながら、コーヒーを注文すると、そこにケニーが息を切らせてやって来た。

「すまない、こんな時間に」

「ケニー、どうしたんだ?そんなに慌てて」

「これ……、これを見ろよ。楽屋で仲間から貰って来た」

そう言って、Webサイトから印刷した紙をエドに差し出すと、ケニーは息を整えるように深呼吸しながら、バッグを床にドサリと置き、近くのテーブル席に腰掛けた。

ケニーが持って来たのは、ジョージ・スター・バレエ団の公演情報だった。それは昨日から4日間の日程で行われているニューヨーク公演のもので、演目はジゼルだ。

「ああ、2枚目だ、2枚目を見ろよ。ジゼルの出演者が載っているだろう?」

ケニーはもどかしそうに言うと、エドの手から2枚目を抜き出して

「ほら、ここだ」と出演者の写真とプロフィールを指した。

その瞬間、エドの心臓がドキリと音を立てた。

「レイ……!」

「ローラ・バークレー、ABTの元ソリストでゲストダンサーとしてジゼルを踊ってる。……彼女だろ?」

「ああ、……ああ、そうだ」

レイの写真に並んで、アルブレヒトを踊るパトリックの写真とプロフィールがあった。

「パトリック……、彼と一緒なのか……?」

「名の知れたダンサーだよ。なんだ、お前パトリック・オーモンの知り合いか?」

ケニーが少し目を丸くしながら聞いた。

「いや、知り合いって程じゃないよ。東京にいた頃に仕事の関係で一度会った事があるだけで……」

確か、シカゴのバレエ団だと聞いていたが、ジョージ・スター・バレエ団だったのか、と思った。ABTやNYCB程ではないが、アメリカでは有名なバレエ団だ。

「残念だけど、彼女が踊るのは今日だったらしい」

エドは壁の時計をちらりと見た。時計の針は11時を少し過ぎたところを指していた。

「もう、とっくに終わっている時間、か……」

少し肩を落としながらエドが言うと、ケニーが

「まだ2日間あるし、団に問い合わせれば何か手立てはあるはずだ」と慰めるように言った。

やっと彼女が幻ではなく現実として現れたのだと思うと、居ても立ってもいられない気分だったが、それと同時に彼の心は不安にも襲われてもいた。彼女は、自分の事など忘れて幸せに過ごしているのではないか、と思ったからだ。エドは、パトリックがアンと結婚している事を未だに知らなかった。

翌日、エドは落ち着かない気分のまま仕事を終えると、STEP INへ向かった。東京にいた頃から、ほんの少しまとまった時間ができるとレッスンを受けていたレイの事だ。今日踊らないのなら、もしかするとクラスを受けに来るかもしれない、と思った。この時間帯で、プロが受けるようなクラスがあるのはSTEP INだけだ。 クラスに行けば何かあるかもしれない、そんな根拠のない予感が、エドにはあった。

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7章 Traces

Posted by Marisa