6章 Edward 6 -オークリッジ-

もうひとつのジゼルの物語-東京編-,6章 Edward

Chapter6

エドは、今頃ルイーズ・バークスフォードの事を知りたいと言う人がいるなんて不思議だと思った。ジェイの言う知り合いは彼女の古い友人なのだろうか?と。

娘を亡くし、悲しみにくれるバークスフォード夫人の姿を、エドは今も覚えていた。絶縁状態だったとはいえ、『いつか、娘がここに戻れる日が来る』と信じ、絶縁を言い渡した夫の目を盗んで、密かに娘を見守っていた夫人には、あまりに悲しい結末だった。

そしてエドはふと、もう何年も戻っていないイギリスの家の事を考えた。彼はアメリカの大学に進んで以来、殆どイギリスの家に戻っていなかった。

彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業した後、ハーバードビジネススクールに進み、そのままアメリカで仕事に就いたという事もあったが、家に戻らない理由は他にもあった。

彼の母親は黒髪が美しい日本人だったが、彼女はあまり身体が丈夫な方ではなく、エドが14歳の時、病気で亡くなった。その数年後、後妻としてやってきたのが継母のアメリアで、彼女はことあるごとに日本人だったエドの母親の事を悪く言った。彼は、それがたまらなく嫌だった。

アメリアが自分の産んだ息子―エドにとっては年の離れた義弟―にオークリッジ家を継がせたいと考えているのも知っていた。

いずれにせよ、エドは家を継ぎたいなどとは思っておらず、さっさとアメリカの大学に進み、家からの援助は一切受けずに奨学金とアルバイトで学費を稼いで卒業した。

彼の一族はロンドンの一等地と広大な田舎の土地を所有しており、彼らはそれを運用することで莫大な利益を得ていた。当主である彼の父親は『事業家』とは名ばかりで、経営のほとんどを会計士とコンサルタントに任せ、社交シーズン以外は田舎での狩りや週末のパーティーに明け暮れていた。

彼らが口にするものも、身につけているものも、いわゆる一流品で『普通の人々』が簡単に手にすることなどできないものばかりだった。ぜいたくな生活と、自ら大きな労働しなくともお金が入ってくることは、彼らにとって当たり前の事だった。

生活費を稼ぐために、『労働』を経験したエドは彼らが身につけているスーツ1着がどれほどの労働との引き換えなのかを知ることとなった。

アメリカに渡る前のエドは、彼の一族と同じように、誂えたものを身につけ、それがいくらなのか考えたことすらなかった。アメリカでの生活で、生活に必要な費用や『普通』の生活を知り、次第に彼はそれに馴染んでいった。安い既製服を身につけ、スーパーで値段を気にしながら食品を買い、『収入に見合う生活』をした。それまで身に着けていた着心地の良いジャケットを恋しく感じることもあったが、それを再び身につけるのは相応の仕事をしてからだ、と考えていた。

たった一度、父が家族を連れ『バカンスのついで』にアメリカに立ち寄ったことがあった。ジーンズと大学のロゴがプリントされたTシャツを着たエドを見て、彼の父親は顔をしかめ「何なんだ、その汚い恰好は」と嫌悪感を露わにした。

エドにとって、その時身に着けていたリーバイスのジーンズは『一張羅』の一つだった。「学生の身分で高級なシャツなど要りませんよ」と返すと父親は
「そんな恰好は、卑しい労働者がするものだ。同じようなものでもっとマシなものがいくらでもあるだろう。そんな見るからに安っぽいシャツなど……」とさらに顔をしかめた。

100ドルを稼ぐのにどれだけの労働が必要かを知るエドと、100ドルなどはした金にも満たない彼らでは、同じ価値観を持つことは、もはや不可能だった。

貴族社会で、『貴族の子弟が通う大学を拒否し、アメリカで汚い恰好をして労働しながら大学に通う変わり者』と言われるのに、そう時間はかからなかった。

結果、彼の一族はエドを理解できず、またエドも彼らの価値観を理解する事が出来なかった。『家を出たきり戻らない変わり者』、それがオークリッジ家で彼を形容する言葉だった。

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