8章 夏の終わり3 -エド-

8章 夏の終わり

chapter8

木曜のお昼を少し回った頃、レイが受付で名簿のチェックをしていると、コンコンとガラス扉を叩く音がした。顔を上げると、そこには嶋田の姿があった。心臓がどきりと音を立てたのが自分でも分かった。
彼はレイと視線が合うと、にこりとして軽く会釈をした。

レイは、受付カウンターから出てガラス扉を開けると
「嶋田さん、スタジオ事業部で必要なものが?」と聞いた。仕事の用件だと思ったからだ。
「いえ、瀧澤さん、あなたに……。少しだけ時間はありませんか?」
嶋田がそう言うと、レイは驚いた表情をして
「ええ……」と答えた。

レイと嶋田はエントランスを出た。
外の光は、まだ夏の名残を残していたが、空は青く秋の気配を漂わせていた。2人は少し歩いたところで立ち止まった。

「今日は、もう終ったんですか?」
レイが聞いた。
「ええ」
嶋田はそう言いながら、上着のポケットから何かを取り出した。

「これを、瀧澤さんにと思って……」

彼が差し出したのは、今話題になっているミュージカルのチケットだった。レイは、意味が分からず、戸惑った表情で彼を見た。

嶋田は、少し緊張気味に
「お客さんから貰って……。よかったら一緒にどうかと思って」と言った。

「えっ?私と、ですか?」
レイが驚いて目を見開いた。
「ええ。来月ですけど……、どうですか?」
わずかに不安をにじませた声で嶋田が聞いた。
レイは、驚きの表情を残したまま
「……ええ、ええ!もちろん。私でよければ」と嬉しそうに答えた。

そう答えた後、レイは急に恥ずかしくなってうつむいた。

「ああ、よかった。……断られたらどうしようかと」
嶋田は、やっと緊張が解けたという様子で言った。
「そんな……、嶋田さんの誘いを断るなんて。そんな人いないわ」
思わずレイはそう言って顔を上げた。

嶋田はクスリと笑うと
「瀧澤さんに断られなければ、他の誰に断られても構わないよ」と言った。
その言葉に、レイはドキリとした。それは、どういう意味?と。
思い切って口にした言葉に嶋田は恥ずかしくなって、すぐに
「……じゃあ、また連絡します。時間や待ち合わせ場所を決めましょう」と言った。

嶋田は、駅への道を歩きながら、ふっと安堵の息を吐くと指先でネクタイを少しだけ緩めた。お客から貰ったと言ったチケットは、実はコネクションを使い苦労して手に入れたものだった。
どうやって誘うか考えあぐねた結果、バレエかミュージカルを口実にするのが一番言い出しやすかった。チケットも顧客から貰ったことにすれば、彼女にとっても負担にならないだろう、と。

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