9章 秋雨 1 -心の中の雲-

9章 秋雨

9章 秋雨

「昨日、ミュージカルに誘われたわ。嶋田さんに」

金曜の夜、店にやってきたレイは、カウンター席に着くと、まるで業務報告をするようにジェイに言った。「まあ!そりゃ、よかったじゃない!ミュージカルなんて素敵だわ。で、いつ?」
ジェイは小躍りするように聞いた。
「来月。チケットを貰ったんですって、お客様から」
レイは表情を変えずにそう言うと、カウンターの小皿からカシューナッツをつまんだ。

「ちょっとレイ、嬉しくないの?」

「……嬉しいけど」

「嬉しいけど?」
ジェイはレイの言葉を繰り返した。

レイは両手で頬杖をつくと、ジェイから視線をそらして
「どうして私を誘ってくれたのか、わからないもの。舞い上がって変な期待をしたくない」と答えた。
「はあ?!」
ジェイがすっとんきょうな声を上げて
「何言ってんのよ、意味がわからないのはあなたじゃないの?!好きでもない人を誘ったりしないでしょ?」と言った。

「……そうかもしれないけど、そういう意味で誘ったんじゃないわよ」

「じゃ、どういう意味よ」
「私はあなたの知り合いだし、この店のメンバーだし……、他にミュージカルが好きそうな人がいなかった、とか……?」
レイがそう言うと、ジェイは、呆れた表情で
「ったく、どうして素直に喜べないのかしらねぇ、あなたは」と言った。
「……期待しすぎて、傷つくのは自分よ。それに、……怖いのよ、私。自分の中でだんだんブレーキが外れていくのが。私は自分が望んじゃいけないことを望んでるわ」

ジェイは、大きくため息をつくと
「レイ、あなたが望んじゃいけないことなんて、なにもないわよ。今は忘れなさい、余計なことは」と言った。

レイはそんなジェイに少し困った様にすると、お皿のナッツを指で弄びながら
「……嬉しいのよ、本当は。昨日なんてバカみたいに嬉しくて、舞い上がっちゃって……。今考えると恥ずかしいくらい。完全に勘違いしちゃった自分がいるのが、自分でわかるわ。だから、冷静でいなきゃ、って……。でなきゃ私、何も見えなくなってしまうわ」と言った。

ジェイは、また小さくため息をつくと、後はエドに任せておくしかない、と思った。多少、彼が強引にでも出てくれればいいのだが、この分ではアーロンが言ったとおり、時間をかけるしかないのかもしれない、と。

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9章 秋雨

Posted by Marisa