10章 安紗美 3 -困惑-

10章 安紗美

chapter10

あの日以来、レイは度々安紗美の視線を感じる事になった。金曜の夜、レッスンを終えたレイが帰り支度をしながら
「もう、困るのよね、本当に」とため息まじりに言った。
「立川のこと?」
「そう」
「何かあったの?」
「昨日、私、遅番だったでしょ?彼は午前中ここでミーティングだったから、私の出勤前にランチを一緒にって12時前に待ち合わせたのよ。私が待ち合わせのカフェに行くと、あの子がいたの」
「いたって、彼と?」千夏が驚きの混じった呆れ顔で聞いた。
「多分、会社を出た彼を追いかけたのね。エドは、待ち合わせだから困るって言ったらしいんだけど、強引に居座ったんですって」
「それで、どうしたの?」
「言ったわよ、彼女に。”彼は私と待ち合わせているのよ”って。そしたらあの子、”私もご一緒してもいいですよね?”って」
「何よそれ!」目を真ん丸くして千夏が言った。
「もちろん私は”申し訳ないけど遠慮して”って言ったわ」
「それで、素直に引き下がった?どうせまた、もの凄い目つきで睨んだんじゃないの?」
眉間にしわを寄せて千夏が聞いた。
「ところが、彼女思いっきり目を潤ませて、涙声で“わかりました……”って」
うんざりした口調でレイが答えた。千夏は口をぱっくり開けて目をぱちくりさせた後
「はあ、たいした女優ね。彼の前だと泣き落としなんて!」と言って、顔をしかめた。
「もう、お昼にうっかり待ち合わせなんて出来ないわ」
レイがため息をついた。

「……まったく、困ったものね立川も。彼は?何て言ってるの?」
千夏はバッグを肩にかけた。
「今度、同じ様な事があったら、はっきり迷惑だと言うって」
レイがオフィスの扉を押し開けて外へ出た。
「……それで諦めるかしらねぇ」
千夏はレイに続いて外に出ると、入り口のロックをかけセキュリティの確認をした。エントランスから会社の外へ出ると千夏が
「ちょっと寒くなってたわね」と言った。
「もう11月も終わりですものね」
「でも、ニューヨークの寒さに比べれば、どうって事ないわ」
「そうね。あっちじゃこんな薄着でいられないわ」レイが笑って言う。
「ああ、そういえば、ジェイの店でクリスマスパーティーやるって聞いてる?」
「ええ、今年はどう演出しようか悩み中ですって」

「……あれはクリスマスパーティーって言うより、一種の仮装パーティーね」
苦笑いしながら千夏が言った。

「へえ、そうなの。詳しくは聞いていないけど、仮装するの?」
「そう、テーマがあるのよ、毎年。去年なんて全員サンタの格好で大騒ぎよ。もう途中で誰が誰だかわからなくなるし……。サンタには名札が必要だったわね」
千夏が言うと、レイがめずらしく、あはは、と声を立てて笑った。

「……久しぶりに聞いたわ。あなたの笑い声」
「えっ、そう?」
レイが不思議そうな顔で言うと、千夏は嬉しそうに笑った。

地下鉄の入り口まで来ると、
「これから彼のところ?」と千夏が聞いた。
「ええ」
「あーら、羨ましいこと!久しぶりの土日休みですものね、ごゆっくり」とからかうように言った。
そして、「じゃ、月曜にね」と言うと、手を振りながら地下鉄の駅へ降りていった。レイは、千夏の後姿を見送ると、エドのマンションに向かった。

遅くなると言っていたエドはまだ戻っておらず、彼から貰った鍵を使って部屋に入った。

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