最終章 Tokyo

もう、11月が終ろうとしていた。エドがレイを追ってニューヨークに移って半年以上が過ぎていた。
デジタル•ウェーブ•インターナショナルのスタジオ事業部では、千夏がダンスサイトのある記事に目を留めていた。それは、2週間前に行われたシカゴのジョージ•スター・バレエ団の舞台評だった。
パトリックが所属するバレエ団の舞台評だったので読み始めたのだが、数行読んだところで、千夏は視線を止めた。
そして、固唾をのむようにしてその記事に目を凝らすと、突然席を立ち、携帯電話をつかんでエントランスへ飛び出した。
「もしもし、ジェイ?!レイの……、レイの居所が分かったわ!」
仕事を終えると、千夏はKINGSへ直行した。店は休みで『CLOSED』の札が掛かっていたが、ジェイは入り口のロックを解いて彼女が来るのを待っていた。
千夏は、カウンターのスツールに腰掛けるなり
「もう驚いたのなんのって……」と言いながら、バッグの中からプリントアウトした記事を差し出した。
「ほら、ここ。ローラ•バークレーって」
ジェイは、身を乗り出すようにしてその記事を読んだ。
「本当……、レイだわ、これ」
「パトリックったら……、どうして教えてくれなかったのかしら?公演があることも黙ってたみたいで」
悔しそうに千夏が言った。
「……多分、レイが口止めしたのね」
そう言ってジェイはグラスにビールを注いだ。
「そうよね……。でなきゃ、あのパトリックが黙っているはずないわね」
「でも、とりあえず一安心だわ」
ジェイは少し安堵した様な口調で言うと、千夏の前にビールのグラスを置いた。
「エドは知っているのかしら?ニューヨークでしょ?彼」
「わからないわ。彼がこの手のサイトまで目を通していれば知っているだろうけど、何の連絡もないって事は知らない確率の方が高いわね」
「ジョージ•スターの公演に出てるってことはシカゴにいるのかしら?」
「どうかしらねぇ。公演自体はニューヨークだから、ニューヨークってこともあり得るわね」
「パトリックにメールしたんだけど、まだ返事がないのよ。電話も出ないし」
「えっと、今10時前だから……、あっちは朝の8時くらいね……。起きてるわね」
壁にかかった時計を見てそう言うと、ジェイは携帯電話をとった。
「電話するの?」
「もちろん」
ジェイはエドの番号を押した。しばらく呼び出し音が続いた後、電話が取られた。
「Hello?」
わずかなノイズ混じりのそれは、エドの声ではなく女性の声だった。ジェイは驚いて一瞬言葉を詰まらせ、番号を間違えてしまったのかと
「エドワード•オークリッジの電話では?」と聞いた。
「ええ、そうですが。どなた?」
そう答える女性の背後でエドの声が聞こえた。
「……電話?」
「……ええ、あなたによ」
「……誰から?代わるよ」
そんな短いやり取りをジェイは信じられない様子で聞いていたが、やがてふつふつと怒りの感情がこみ上げて来た。
レイを捜すと言っていたのに!ニューヨークに行って1年もしないうちに別の女といるなんて!
エドが電話に出ると、ジェイは
「ちょっと!エド!何なのよ、今の女は!」と叫んだ。
ジェイの向かいにいる千夏が、驚いて「えっ?女?!」と言った。
「あなた、レイを捜すって言ったじゃない!あの子以外考えられないって」
まくしたてるようにジェイが言う。電話の向こうのエドは、その口調に戸惑った様子で
「ジェイ、ちょっと待ってくれよ」と答えた。
「待てないわよ!どういう事なの?!ちゃんと説明しなさいっ!」
興奮気味にジェイが叫んだ。
電話の向こうでは何やらやり取りをしている声が聞こえてくるが、はっきりとは聞き取れない。
「ちょっとエド!黙ってないでなんとか言いなさいよ!」
思い切り受話器に向かって叫ぶと、少しの沈黙の後
「……ジェイ?ジェイなの?」と先ほどの女性の声が言った。
「えっ?」
それは聞き覚えのある声だったが、ジェイはすぐにそれが誰か理解できず、黙ってしまった。
「……私よ、ジェイ。……連絡もしなくてごめんなさい」
なぜ分からなかったのか、その声とアクセントは、紛れもなくレイのものだった。ジェイは予想すらしなかった展開に目をまん丸くして、言葉を失った。
「ジェイ?」
レイの問いかけに我に返ると、まだ信じられないといった様子で
「……レイ?レイ、あなたなの?」と聞いた。
「ええ。私よ」
その答えを聞いた瞬間、ジェイの目から涙がぼろぼろとこぼれた。
「……ああ、レイ。ずっと、ずっと心配していたのよ。本当に……、どうしてたのよ?」
「ごめんなさい……」
電話のやり取りを聞いていた千夏は、少し混乱した様子で
「レイって……レイってどういうこと?エドに電話したんじゃなかったの?!」と小声で言った。
ジェイはその言葉に、またハッとすると、涙を手の甲で拭い
「ちょっとレイ、今、あなたどこにいるの」と聞いた。
「どこって……、ニューヨーク……」
「そうじゃなくて……。私は、一体どこに電話したのか、ちょっと分からなくなってるんだけど……」
混乱気味にジェイが言う。
「……エドのアパートよ。あなたが電話したのはエドの番号」
「そうよね、レイ。あなたに電話したくても、私は番号すら知らなかったのを忘れそうになったわ」
その言葉にレイは苦笑いすると
「……エドに、代わるわ。用事があったんでしょう?」と言い、電話をエドに渡した。
「ジェイ、驚かせて済まなかった……。君にはすぐに連絡すべきだったんだけど……」
ジェイはため息をつくと
「まったく、驚かせてくれるわね。あんたたちは……。心臓が止まるかと思ったわよ」と言った。
「で、こんな朝っぱらからレイがあなたの家で電話に出るってことは、一緒に暮らしてるってこと?」
「ああ」
「……そう、ならいいのよ。いいんだけど、どうしてすぐに連絡をよこさないのよ。私たちだって心配してたんだから」
「すまない……。彼女とは、まだ再会して1週間くらいで色々と……」
「1週間?!」
「ああ」
「……あなたにしては手際がいいわね」
感心と驚きが混じったようにジェイが言った。
「ジェイ、すまないけど時間が……。また夜に電話するよ」
「ああ、そうね。そっちは朝だものね。レイによろしくね」
ジェイは電話を切った後も、まだ少し信じられないという表情をしている。
「レイは?あの子、彼と一緒なの?」
「そう。まだ一週間前に会えたばかりだって。で、もう一緒に暮らしてるそうよ。驚いたわ」
「手際がいいって、そう言う事だったの」
「でもまあ、これでやっとひと安心だわ」
「本当ね。やっと収まるべきところに収まったって感じ」
「また夜に電話するって言っていたから、今度はこっちが朝っぱらから電話で起こされるわね」
やれやれ、と言う調子でジェイが言った。
「じゃ、私はそろそろ帰るわ」
千夏はそう言ってドアに向かった。そしてドアノブに手を掛けながら、ジェイの方を振り返って言った。
「あ、そうだ。レイのアドレス、聞いておいてくれる?」
「オーケイ。分かったら連絡するわ」
ジェイがそう言うと、千夏は「じゃ、おやすみ」といってドアの外に滑り出た。
翌日の朝8時を過ぎた頃、ジェイがコーヒーを入れているとジェイの携帯電話が鳴った。
「ハイ、メイヤーです」
「ジェイ、僕だ。朝早くにすまない」
「ああ、エド。大丈夫よ。もうこっちは8時を過ぎてるし」
「色々、心配をかけてすまなかった」
「いいわよ、もう。あなたたちが一緒にいるなら、それでいいわ。……正直、もうあの子はずっと見つからないんじゃないかって、ね。少しそう思っていたから」
「……僕だって、同じだよ。もうダメなんじゃないかって。でも、そう思い始めた時にケニーが、彼女の手がかりを見つけてくれて。でも、あの日、パトリックに会わなければ、僕は彼女を永遠に失っていたかもしれない」
エドはそこまで言うと、レイが自殺未遂を起こした事を仄めかしてしまった気がしたが、ジェイは気づかない様子で
「まあ、じゃあパトリックには一生頭が上がらないわね」とからかうように言った。
そして、今度は真剣な声で
「で、エド、レイとは、どうするの?」と聞いた。
「どうって?」
「だから……、この先よ。お互いに色々と難しいとは思うけど……、結婚とか……」
少し歯がゆそうにジェイが聞いた。
「それなら、長い間心配をかけたけど、もう大丈夫だよ」
エドが柔らかな声で言うと、ジェイは少し驚いたて
「……それは、レイと結婚するって事?本当に?」と聞き返した。
「もう、プロポーズして、返事も貰ったよ」
電話の向こうで、ジェイは驚きと嬉しさでしばらく言葉を失った。
「……ああ、……よかった!本当に!今日はなんて素敵な日なのかしら。あなたからそんなことが聞けるなんて。私、ずっと、ずっとこんな日を待っていたのよ」
ジェイの声は少し涙声になっていた。
「……それにしても、再会して1週間足らずでもうプロポーズなんて、あなたにしては手際が良すぎるわね」
ジェイが少し鼻をすすり上げながら言うと、エドは苦笑いしながら
「彼女と結婚しようと決めたのはもう2年も前だからね。手際がいいってわけじゃないよ」と言った。
「ああ、そうだったわね。……あの子がアメリカに戻る前に言っていたわね。そういえば。……でも、よく、イギリスのご両親を説得したわね」
ジェイが聞くと、エドは
「まさか!」と笑った。
「イギリスの家はもう僕にとっては無関係だよ。僕はアメリカで暮らすし、望んだ相手と結婚する」
「じゃあ、あっちには何も?」
「わざわざ向こうが騒ぎ立てそうな事を報告する必要はないよ」
エドがそう答えると、ジェイは少し沈黙した後
「……エド、あなた変わったわね。強硬手段に出るなんて、以前のあなたからは考えられないわ」と言った。
「何が一番大切か、今の僕にはよく分かっているからね……」
「で、いつ結婚するの?早々に?」
「そうだね。出来るだけ早く。多分、来月には」
エドが即答すると、ジェイは
「善は急げ、ね」と安堵したように笑った。
そして、少しの間ジェイは考えるように沈黙すると 「ね、来月ならそっちに行けるわよ。証人が必要でしょ?」と言った。
The story II –END–