10章 安紗美 4 -嫉妬-

10章 安紗美

chapter10

エドは、マンションのエントランスまで来ると、鍵を使わずに部屋の番号を押した。
「レイ、戻ったよ」
『お帰りなさい。今、開けるわ』インターホン越しにレイの声が答えた。
間もなく、入り口の自動ドアが、静かに開いた。

その時だった。

「嶋田さん!」
突然声をかけられ、驚いて振り向くと、そこには立川安紗美が立っていた。

エドはその姿を見た瞬間、『まいったな』と思った。
安紗美は甘ったるい笑顔を浮かべて彼に近寄ると
「こんばんは。私、嶋田さんの事、待ってたんです」と言った。
どうして住んでいる所を知っているのかと、エドが困惑した表情でいると、安紗美は上目遣いで彼を見上げ
「……瀧澤さんと付き合っていることは知っています。でも……、私、嶋田さんの事、好きなんです」と言って、目を潤ませた。
「すまないけど……」
エドがそう言いかけると、安紗美は
「すまないなんて……、そんな事言わないでください。お願いです、1度でいいんです。私と朝まで一緒にいてください。1度でいいんです。思い出をもらったら、そしたら、嶋田さんの事、諦めます。だから……」
涙をぽろりとこぼしながら訴えた。

エドは困惑した様子で、しかしきっぱりと
「すまないけど、彼女が部屋で待っているんだ。君の気持ちには応えられない」と言った。

安紗美は、その言葉に目を見開いて彼の顔を凝視した後、下唇をぎゅっと噛んでうつむいた。

「……どうして、どうして私じゃダメなんですか?私の方が彼女より嶋田さんのこと好きなのに」

呟くように言ったかと思う、と安紗美は顔を上げ、エドをまっすぐに見た。そして、叫ぶように
「どううして?!こんなに好きなのに!好きなのに!」と言うと、安紗美はエドに体当たりするようにして抱きついた。

その拍子に、エドの手から持っていた鞄が滑り落ちた。

驚いたエドが「……やめるんだ!」と言ったが、安紗美はお構い無しに、腕を巻き付けた。
「好きなんです!諦めません、私、私……!」
か細い悲鳴の様な声で、安紗美が続ける。

エドが、再び「お願いだ、やめてくれないか」と言って彼女を強く押し戻した、そのときだった。

「……立川さん、あなた、何してるの?」という声がした。

そこには、驚いた顔のレイが立っていた。

ロックを解いても、なかなか部屋に戻らない彼を心配して、様子を見に来たのだった。
安紗美は、突き刺す様な視線で彼女を見た。レイは動じる事なく、安紗美の視線を捉えた。

エドは落ちた鞄を拾い上げると、安紗美の目の前を通り過ぎ、レイを片手でそっと抱き寄せた。
「レイ、すまない。驚かせて」
そして、安紗美の方に向き直ると、諭すように
「もう一度言う。君の気持ちには応えられない。だから、もうこんな事はしないでくれないか。分かったね?」と言った。

「……あなたさえいなければ」

呟く様な声で安紗美が言った。

「えっ?何?」レイが聞き返した。

次の瞬間、安紗美が、手に持っていたバッグを振り回してレイに突進して来た。レイの顔に、彼女のバッグが当たった。

「……!ちょっと、立川さん、何をするの?!」
「やめないか!やめるんだ!」
エドが制止しようとしたが、安紗美はレイに向かってバッグを振り回した。

「あなたさえいなければ!あなたさえ……!あなたさえ……!!」
半分涙声になりながら、安紗美が叫ぶ。エドの制止を振り切り、安紗美が勢いよくレイを突き飛ばすと、足元の段差を踏み外したレイの身体がぐらりと揺れた。

「レイ!」

エドが、ギリギリのところでレイの身体を支えた。そして、心配そうに「怪我は?脚は、大丈夫?」と聞いた。
「ええ……、大丈夫よ」レイが答えると、
「よかった……」とホッとした表情をした。

2人の背後では、安紗美が涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、息を切らせて立っている。エドは、小さく息を吐くと、安紗美の方を向き、視線を合わせずに
「……お願いだ、君を嫌いになる前に、帰ってくれないか?」と言った。

安紗美は、少しの間、2人の姿を見ていたが、2、3歩ゆっくりと後ずさりするとゆっくりと背中を向け、無言で去って行った。

「レイ、嫌な思いをさせてすまなかった……。さあ、部屋に戻ろう」
そう言って、着ていたコートを脱ぐと彼女に羽織らせた。レイは黙ったままうつむいていたが、ほんの少しかすれた声で
「彼女……、大丈夫かしら?ちゃんと、帰れるかしら?」と言った。
「……送りでもしたら、余計誤解されるよ。冷たくした方が彼女のためだ」
エドはきっぱりと言うと、エレベーターのボタンを押した。

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