4章 Dancer -懐かしい空気-

4章 Dancer

月曜の午前、レイは久しぶりにSTEP IN のクラスに向かった。それは、ABTにいた頃から時々受けていたクラスで、参加しているメンバーの殆どがプロのダンサーだ。昔の仲間に会うかもしれない、と言うのが嫌で、今まで行くのを躊躇っていたが、ふとあの頃の空気に触れたくなった。

クラスの開始時間まで、広い廊下でストレッチをしながら周りのダンサーたちに目をこらしていたが、今日のクラスに名の知れたダンサーの姿はなく、知った顔もない。

前のクラスが終わりスタジオに入ると、レイはバレエシューズからトゥシューズに履き替え、壁に取り付けられたバーに手を置くと、体を伸ばした。

講師とピアニストが入ってくると、程よい緊張感の中で心地よいピアノの旋律が響きはじめた。

その旋律を聴きながらレイは、ABTで踊っていた頃を思い出していた。

(ねえ、あなたはバレエ教師の自分に満足しているの?)

ふと、自分の中で声が聞こえた。

(舞台に立ちたいと思わないの?今だって中央で踊れる実力は十分あるじゃないの。本当にあなたは今の自分に満足しているの?)

レイは、心の中の声を振り切るように、小さく頭を振った。無理よ、今更、と。

やがて、バーレッスンが終わり、センターレッスンに入った。プロのダンサーが集まるそのクラスでも、レイは目立つ存在だった。優雅で流れるようなアダージオは、彼女の得意とするものだったし、アレグロの脚さばきは、とても軽やかで、誰よりも正確だった。

「すごいね、彼女。ABTかNYCBのダンサーか?見ない顔だけど」と誰かが小声で言った。

クラスが終わると、ロッカールームで赤毛の女性が声をかけてきた。
「あなた、ものすごく素敵だわ。どこで踊っているの?」
「今は、舞台には立っていないの。教え専門で……」と答えると、彼女は目を見開きながら
「なんて勿体無い!あなたは舞台に立つべきよ!」と少し大きな声で言った。
すると、着替えを済ませロッカールームから出ようとしていた別のダンサーが、あっと思い出したように、足を止め

「……あなた、ローラでしょ? ABTのソリストだった」と言った。

「えっ……」
思いがけない言葉に戸惑っていると、彼女は
「やっぱり、そうね。あなたの踊りは何度も見たことあるのよ。退団したって聞いたときは残念で仕方なかったのよ」と言った。

「……どうして、私だと?」
少し動揺しながらレイが聞いた。

「あなたの踊りは何度も見たって言ったでしょ?忘れるわけないわ」
そう言って笑うと、彼女は
「また、舞台に戻ってくるんでしょう?楽しみにしているわ」と言い残してロッカールームを出て行った。

レイは、複雑な気持ちでレオタードを脱ぐと、小さくため息をついた。楽しみだなんて、もう舞台に立つ機会なんてないのに、と。 それでも、レイは自分のことを覚えてくれる人がいたと言うことが嬉しかった。そして、その人は自分がまた舞台に立つことを楽しみにしてくれている。そう言ってくれるのが、彼女一人だけだとしても、その期待に応えられないことが残念で、心苦しかった。そして何よりも、自分自身がまた舞台で踊りたいと思い始めていた。

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4章 Dancer

Posted by Marisa