4章 Dancer -戻る場所-

4章 Dancer

木曜の午後、パトリックに連れられて行った貸しスタジオは、まだ新しく、とても綺麗で広いスタジオだった。レイが時々借りる古い小さな貸しスタジオとは大違いだ。

「すごくいい床だわ。天井も高くて明るくて……。高いでしょう?」
思わずレイがそう言うと、パトリックはクスリと笑いながら
「団が借りてくれるからね、お金の心配はないよ」と言った。
「それで、今日は何を踊るの?」
「そうだな……。ジゼルはどう?」
「ジゼル、ね。いいわ」
レイが床で体を伸ばしながら返事をした。パトリックは、ビデオカメラをセットしながら
「時間はたっぷりある。アップが終わったら1幕のバリエーションから通してみよう」と言った。
「撮るの?」
レイが少し怪訝な顔で聞いた。
「ああ。たまには自分で自分の踊りをチェックしないとな」
滅多にそんなことをしない彼が、珍しい事を言うものだ、とレイは思った。

「ローラ、本当にもう舞台に立つ気はないのか?」
踊り終わったところで、パトリックがタオルで汗を拭いながら聞いた。
「……舞台、ね。……踊ってみたいとは思うわ、もちろん。でも、そんなに簡単なことじゃないのよ、今の私には」
レイがタオルに手を伸ばしながら、少し困ったように答えた。
「君にその気があるのなら、俺から話をしてみてもいいけど」
パトリックがそう言うと、レイは驚いて彼の方を向いた。
「えっ?」
「今度のニューヨーク公演でジゼルをやる。そこで踊らないか?」
「それは……。それは踊りたいけど」
思いがけない言葉に、レイは戸惑いながら答えた。
「じゃあ、決まりだ。俺から監督に話をしておくよ。話が決まったら、一度シカゴに来てもらわなきゃならいけど」
パトックが嬉しそうに言った。
「……じゃあ、もし踊れるって事になったら、しばらくはシカゴに?」
「こっちがいいなら、俺がNYまで来るけど?君なら、直前のリハ数回であわせられるだろう?振りもプティパ版から殆ど改訂はないし」
「そんな……、無理よ。あなたのところでは一度も踊ったことないのよ。初めての人たちと直前だけでなんて……、自信ないわ。それに、1人だけ後で入るなんて、皆が迷惑するわ。代役ならまだしも……」
レイが少し焦ったように言うと、パトリックは目を丸くした後に
「おいおいローラ、まさかコールドを踊るつもりなのか?」と聞いた。
レイはその言葉に一瞬黙した後、少し不安そうに
「……パトリック、あなた、一体私に何を踊らせるつもりなの?」と言った。
「だから、ジゼルだよ。今踊っただろう?」
当然、と言うようにパトリックが答えた。
レイはその言葉に、目を見開いてゆっくり瞬きすると
「えっ?ジゼルって……。まさか私に主役を踊れと言うの?」と聞いた。
「……君と踊りたい。どうだ?ダンサーとして再出発するにはいい話だと思うけど?」
パトリックは最初からそのつもりでレイにジゼルを踊らせたのだった。ビデオに撮ったのもそのためだ。
「パトリック、そんなこと……。私は踊れるなら、主役やソロじゃなくてもいいのよ。あなたと踊るなんて……」
レイが戸惑って答えた。
「ローラ、どうしてそんなに弱気なんだ。自信をもてよ。君は今だって誰よりも優雅で美しく踊れるんだ」
「でも……。でもそんなこと、誰も快くは思わないわ」
「君が踊ってみせれば、誰も文句は言わないよ」
それでもレイが、不安な表情のままうつむくと
「いいか、ローラ。君はABTで踊っていた頃と少しも変わっちゃいない。あの頃以上だ」と言い聞かせるように言った。

レイは突然の話に戸惑っていた。確かに、舞台には立ちたかった。けれど、パトリック以外知る人のいない所で踊るのは不安だった。オーディションを受けてパスしたのならまだしも、いきなり主役を踊ると現れた自分を皆が歓迎するとは思えなかった。

けれど、パトリックが言うとおりダンサーとして再出発するのに、これ以上の話があるだろうか。
レイは少しためらった後、顔を上げ
「……私は、自信を持ってもいいのね?」と自分自身に確認するように言った。

数日後、レイの元にパトリックから連絡があった。芸術監督のカーティスが一度会いたいのでシカゴまで来てくれと言う事だった。 「心配する事ないさ」とパトリックは笑った。

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4章 Dancer

Posted by Marisa