9章 Gisell II -愛-

9章 Gisell II

chapter9

エドは席に着くと、プログラムを開いた。

ローラ・バークレー、間違いなくその写真はレイだ。まだ少し信じられない気分だったが、ずっと探し続けた彼女がこれからこの舞台で踊るのだと、そう思うと彼の胸は高鳴った。

開演のベルが鳴ると、客席の照明が落ち、音楽が流れ始めるとゆっくりと緞帳が上がった。

第1幕、村の風景。

村娘ジゼルに扮したレイが登場すると、客席から拍手が湧き上がった。アルブレヒトとの恋に幸せいっぱいのジゼルが舞台の上にいる。

エドは『彼女は踊れなかったんだ』と言うパトリックの言葉をふと思い出した。しかし舞台の上のレイは、アルブレヒトに恋をした可愛らしい村娘そのものだった。

「あらまあ、今日のアルブレヒトは遊び人じゃないのね」
「本当、今日のは本気でジゼルに恋してるように見えるわ」

隣の常連と思われる女性客2人が、声をひそめて言った。

やがて、密かにジゼルを慕う森番のヒラリオンによって、アルブレヒトが貴族であることが暴かれると、そこに婚約者のバチルドまで現れ、戸惑うアルブレヒト。ジゼルにもバチルドにも曖昧な態度しか取れない彼は、仕方なくバチルドの手を取った。

『これはこの場を凌ぐためだけだ』とジゼルに視線を送るが、彼女にそのメッセージは伝わらない。そしてジゼルは、彼に裏切られたショックと悲しみで、息絶えてしまう。

その様子は、エドに、あの日の朝、彼女の見せた絶望的な表情を思い出させた。その表情ととジゼルの表情とが重なると、心がズキリと痛んだ。

第2幕、月明かりに青く照らし出された森。

そこは結婚前に命を落とし、精霊ウィリとなった娘たちが支配する死の世界だ。ウィリは、通りかかる若い男たちを踊りに誘い込み、息途絶えるまで踊らせる。ウィリの女王ミルタによってウィリの仲間に迎え入れられたジゼルは、透明で青ざめた世界を音もなく、空気の中に漂うように踊る。

ステップを踏むたび、暗い舞台の上で、ふわりと舞いあがる真っ白なロマンチックチュチュは、ぞっとするような美しさだった。

やがて深い悲しみと後悔の念にかられたアルブレヒトが、白百合の花束を抱え、愛するジゼルの魂を探すかのように、ジゼルの墓の前に現れる。が、彼はミルタたちに捕まり、息絶えるまで踊ることを命じられる。

ジゼルはアルブレヒトを救おうとミルタに懇願するが、彼女はそれを冷たくつきはなしてしまう。パトリックの演じるこの日のアルブレヒトは、ただひたすらジゼルへの愛を踊り、ジゼルは、彼を守るように踊り続けた。やがてアルブレヒトが最後の力を振り絞ってジゼルへの想いを踊るとき、朝を告げる鐘が鳴り響き、ウィリたちは朝霧の中に消え、ジゼルは一輪の花を彼に捧げ、別れを告げる。

死してなお、アルブレヒトをウィリたちから守ろうとしたジゼル。
「今日のジゼルは何て切ないの。二人は本当に愛し合っているわ……」そう呟きながら隣の夫人が、ハンカチで目頭を押さえている。

そしてエドは、自分の目からも不意に涙がこぼれ落ちたことに気づいた。

幕が下り、大きな拍手が鳴り響くなか、エドは動く事も出来ずにいた。そして再び幕が開き、レイとパトリックが、大きな拍手の中でレベランスをする。

何度ものカーテンコール。優雅に微笑みレベランスをする彼女を見ていると、舞台の上の彼女は、もう違うところに住んでいるようにも思えた。 自分のことなど忘れて、再びプロのダンサーとしての道を歩き始めている。今の彼女は、もう自分の知っている彼女ではないのではないか、とさえ思った。今さら、自分が彼女の前に現れたところで、彼女は自分を拒絶するのではないか、という不安が初めて心に沸き上がった。

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