9章 Gisell II -不安と期待-

9章 Gisell II

chapter9

翌日の夕方、エドはパトリックから呼び出され、エンパイア・ステートビルのビアホールにいた。

「すまないね、こんなところに呼び出して」
「いや、構わないよ」

パトリックは半分飲みかけのビールをグイと飲み干すと、

「ビールでいいか?」と聞いてから、2人分の飲み物をオーダーした。
「さて、ローラ……、レイのことなんだが」と切り出した。
「パトリック、僕は……、彼女に会ってもいいんだろうか?」

エドの言葉にパトリックは目をパチクリさせて

「何を言ってるんだ?」と言った。

「彼女は……、僕に会うことを望んでいるのか……」

「エド、何を怖気づいているんだ。お前はわざわざ彼女を探しにニューヨークまで来たんじゃないのか?」

「……舞台を見て、思ったんだ。彼女はもう僕の事など必要としていないじゃないかと。もう彼女は以前とは違うのかもしれないと……」

パトリックはエドの言葉にため息をつくと

「彼女は、ちっとも変わっちゃいないよ。お前が知らなかっただけだ。お前が知っているのはバレエ教師のローラで、バレエダンサーのローラじゃなかった、と言うだけさ」と言った。

「……ローラがABTのソリストだった事は知っているだろう?その頃から素晴らしいダンサーだったよ」

「どうして彼女は退団を?怪我だって聞いたけど……」

パトリックは少し考えてから「お前は、あまり聞きたくない話だろうが」と前置きをしてから、当時レイの恋人だったアレックの話を始めた。

「アレックには結婚を約束していたエイミーって女がいた。エイミーはローラと同期のダンサーで、なぜかローラをライバル視していてね。彼女は少しクレイジーな女で、ローラよりも自分の方が実力があると思い込んでいたんだ。だから、プリンシパル昇格を目前にしたローラが気に入らなくて仕方なかったんだよ。彼女は自分が何年もコールドを踊っているのに、ローラが短期間でソリストにまでなれたのは、実力以外の何かだと思い込んでいたらしい。そして、エイミーはローラが恋愛に関してはものすごくデリケートで臆病な事を知っていた上で、アレックをけしかけてローラを騙した挙句、捨てさせた。結果、ローラは動揺したままリハーサルを続けて足を痛めてしまった。でも、腱を切ったわけでも、痛めたわけでもなかった。ひねった程度の軽い怪我だった。なのに、彼女は周りが止めるのも聞かず退団した。……何よりも精神的に耐えられなかったのさ。自分の弱さを知ったローラは、プロとして失格だと思ったのかもしれない」

パトリックはそういうと、グラスのビールを飲んだ。

「けれど、今のローラは違う。今度は逃げなかった。お前を失ったと言う痛みからね。だからこそ素晴らしい踊りが出来たんだ」

「僕は、もう今更、彼女に会うべきではないと?」

不安げな表情を浮かべてエドが聞くと、パトリックは呆れたように

「だから……、誰もそんなことを言っていないよ」と答えた。

「彼女はひとつ壁を乗り越えたと言うだけで、お前が必要ないという意味じゃない。……ローラは今だってお前愛しているし、会いたいと願っている。そりゃ死ぬほどにね」

パトリックは、相変わらず不安そうな表情でいるエドをじっと眺めた。

そして、また呆れたようなため息をつくと

「エド、お前はそんなにいい男なのに、どうしてそんなに自信無げなんだ?お前だったらどんな女でも落とせるだろう?」と言った。

「そんな……」

「まあ、クソ真面目だからこそ、他の女に見向きもせずにニューヨークまで来たんだろうけど」

その言葉を聞いて、エドは思わず

「パトリック、君は、ジェイと同じ事を言うんだね」と言うと小さく笑った。

「……確かに、ジェイと俺は何となく似てるね。ローラが心配なところなんかは特にね」

そう言ってパトリックは髪をクシャリとかきあげた。

「ところでエド、お前どこに住んでるんだ?」

「ああ、ここから近いよ。42丁目のアパートだ」

「へえ。42丁目ね……。ローラのアパートとは反対方向だ」

「彼女は、どこに?」少し懇願するような表情でエドが訊く。

「56丁目……、コロンバスサークルから少し西に行ったところだよ」

「そんな近くに……」

エドは少し悔しそうに下唇を少し噛むようにした。

「明日か明後日か……、ローラと会えるようにセッティングするよ」

その言葉に、エドは弾かれたようにして顔を上げた。

「今日にでも会わせてやりたいところだが、彼女は芸術監督に呼び出されているし、今夜は団のパーティーでね……。どうする?何ならパーティーに潜り込んでサプライズって手もあるけど?」

少しふざけたようにパトリックが言うと、エドは苦笑いしながら

「潜り込むのは遠慮するよ。残念だけど、サプライズは得意じゃない。来週は出張でボストンに行かなきゃならないから……、明日で」と言った。

「オーケイ。じゃあ、明日のお昼頃もう一度連絡するよ」

「……彼女は、来てくれるのか?」

まだ不安の表情を浮かべるエドに

「心配しなくていい。大丈夫さ」とパトリックは言った。

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