11章 So far so close -混乱-

パトリックは椅子をレイの前に置くとそこに腰掛けた。「ローラ、彼は……、エドは今、ニューヨークにいるんだよ」と話を切り出した。
その言葉に、レイの心臓がどきりと音を立てた。そして、ゆっくりと顔を上げると、強ばった表情でパトリックを見た。
「偶然、会ったんだ」
「……彼に、言ったの?……私の事、……言っていないわよね?」
確認を求めるようにしてレイが聞いた。
「君がここに運ばれて来た日、あいつに連絡した。……黙っておけないだろう?こんな事になって」
パトリックが言うと、レイは何かを呟くと小さく首を振る仕草をしてうつむいた。両膝の上に置いた手が、微かに震えている。
「……あいつは、すぐに来たよ。血相変えてね」
「そんなこと……。私はそんなつもりじゃ……」
「だろうね。君はあいつがニューヨークにいる事すら知らなかったし、……君が飲んだ薬の量は半端じゃなかった。本気だったんだろう?」
「……」
「もうすぐ、彼が来るよ」
その言葉にレイは顔を上げると怯えた表情で
「ダメ……、ダメよ、そんなこと!」と、声を震わせた。
「ローラ、今更何を言っているんだ?!君はあいつに会いたいんだろう?……あいつがいない寂しさに耐えられなくて、馬鹿なことを思ったんじゃないのか?」
その言葉に、レイは目を大きく見開いて一瞬沈黙した後、震える声で言った。
「……今更、どうしろと言うの?私は自分から彼の元を去ったのよ。あまりにも身勝手だわ……」
「まだそんなことを言っているのか?どうして素直に彼に会いたいと言えないんだ?」
少し咎めるようにパトリックが言うと、レイは
「……言ってはいけないの、言ってはいけないのよ」と涙をこぼしながらか細い声で答えた。
「今更……彼に会うなんて……。私は、彼の人生を狂わせたくない……」
「ローラ、……あいつは君が隠し続けていた事をみんな知っているし、それを受け入れてる」
その言葉に、レイが呆然として
「あなたが……、話したの?」と聞いた。
「いや。俺が会った時、あいつはすべて知っていたよ。君がABTを退団した理由以外はね」
「そうね……、あなたが話すはずないもの……。きっと、ジェイね。ジェイが話したのね……」
諦めるように言うと、下唇を噛んでうつむいた。
「エドは、すべて知った上で、君を捜してニューヨークまで来たんだ。……あいつの気持ちも少しは考えたらどうなんだ?」
パトリックの問いにレイは答えない。
やがて、小さく頭を振ると「ダメよ……」と言った。
パトリックは、仕方なさそうにため息をつくと
「わかったよ」と言った。
「わかった。君が会いたくないと言うのに、無理強いはできない。エドには君が会う事を望んでいないと電話する」
レイはその言葉に、ゆっくり顔を上げた。パトリックは、レイを見据えると
「だがローラ、今度こそ、本当に彼を失うんだぞ。永久に。それでいいんだな?」と聞いた。
レイは目を見開き、パトリックを見た。
「約束してくれ、ローラ。君の望み通り、あいつには君を諦めるように言う。だが、二度と馬鹿なことをするな。いいな」
少し強い口調で言うと、パトリックは携帯電話を取り出し、立ち上がってドアに向かった。そしてドアノブに手を掛けると、レイの方を振り返って言った。
「……ローラ、わかったのなら、返事をしてくれないか」
レイは、黙ったまま、凍り付いたようにパトリックの方を見ていた。身体を小さく震わせ、怯えた瞳からは、ぱたぱたと涙がこぼれていた。
パトリックは再びため息をつくと、ドアノブに掛けた手を離して、携帯電話をポケットに戻した。
「君は、彼の元に帰るべきだ」
そして、再びレイの向かいに座ると、
「あいつは、今だって君を愛しているんだ。だからローラ、君は幸せになれるんだよ」
諭すようにパトリックが言ったが、レイは
「私が幸せになんて……」と小さく首を振った。
レイは、エドがニューヨークにいると言う事も、まだ自分を愛してくれていると言う事も信じられなかった。
「……あいつは、君の舞台も見ているよ」
パトリックは困ったようにため息をついた後、言葉を続けた。
「俺があいつに会ったのは、最終日の前日、ブロードウェイでだ。驚いたよ、あいつがあんなところにいるなんてね」
そして、うつむいたままのレイをチラリと見ると、
「……ローラ、すまない。俺がすぐに彼の事を話していたら、君はこんなに苦しむ事もかったのに……」と言った。
レイは、気遣うような視線で彼を見ると
「あなたの、……あなたのせいじゃないわ、パトリック」と小さく首を振った。
パトリックは、いたたまれない気持ちでしばらく黙っていたが、温かい口調で
「……なあ、ローラ。素直にあいつのところへ帰れ。そうしたいんだろ?」と言うと、膝の上で組まれたレイの手の甲にぽたぽたと涙が落ちた。
パトリックは、少し安堵したように小さく笑うと、
「さあ、顔を洗って。そんな顔で彼に会いたくないだろう?」と言って立ち上がると、優しくレイの腕を取った。
レイがタオルで顔を拭きながら洗面所から出て来ると、アンが大きな袋を手にして部屋に戻って来た。
「さあローラ、これに着替えるのよ」 アンがそう言いながら袋の中から、シャンパンベージュの柔らかなワンピースを取り出した。