12章 Forever and ever -灰色の空-

エドのアパートは、グランドセントラル駅から歩いて数分のところにあった。まだ新しいその高層アパートは、ドアマンが常駐する高級アパートメントだった。
レイはタクシーを降りると、少し躊躇する様にそこに立ち止まった。エドは、レイを促してエントランスを通り抜けエレベーターに向かった。
部屋のドアの前まで来ると、
「今日から、ここが君の家だよ」と言ってドアを開けた。
広いエントランスにはアンティークのベンチが置かれ、モロッコ製の小さなラグが敷かれていた。左側にある扉は、クローゼットになっており、左奥の扉はパウダールームだ。
レイが戸惑うようにしていると、
「日本式なんだ。靴はここで脱いで、スリッパはここに」とエドがベンチの下に並べられたバブーシュを取り、ラグの上に置いた。
淡いピンクに、グリーンのリバティプリントの裏地が張られたそれは、レイが東京で彼の部屋に暮らしていた頃に使っていた物だった。
あの時、彼の部屋に残して来たそれを、エドはずっと持っていたのだ。
「君のお気に入りだったから」
エドは少し恥ずかしそうにそう言うと
「さあ、こっちへ」とレイの肩を抱き、部屋の中へと進んだ。
広い廊下の奥がリビングルームで、その手前にはベッドルームと、彼の書斎、そしてリビングルームの向こうにもひとつ部屋があった。
「この部屋は、君が自由に使うといい。床を張り替えて鏡とバーを付けても構わないよ」
エドが16畳程あるその部屋の扉を開けて言った。
「君の物は寝室のクローゼットの中に、本は書斎の棚にあるよ。また使いやすい様に整理すればいい」
エドは穏やかな表情でレイを見ると、彼女を抱き寄せた。
「これからは、ずっと一緒だ」
レイはエドの腕の中でゆっくりと目を閉じた。けれど、それがまだ現実の出来事だとは信じられなかった。冷たい水の中に沈みながら、長い夢を見ているのではないかと思った。彼の唇が重なっても、胸が張裂けそうな切なさのなかで言いようのない不安に駆られていた。やがて、エドが彼女を抱きしめる腕を緩めると
「お茶を入れるよ」と言いながら、レイをソファの方へ導いた。
エドがキッチンへ行くと、レイはソファに腰掛け、少し落ち着かない様子で部屋の中をぐるりと見回した。
天井から床まである大きな窓の向こうはバルコニーで、その向こうにはマンハッタンの風景が広がっている。リビングダイングは30畳近くの広さがあり、もともと部屋に備え付けられている家具は、イタリア製のシンプルモダンなものでコーディネイトされている。
ダークブラウンの柔らかいレザーのソファにはエスニックな柄のクッションがいくつか置かれ、サイドテーブルの上には、洒落たフォルムのランプが乗っている。レイが暮らしていた、小さな部屋とは大違いだ。
キッチンからは、お湯の沸く音が微かに聞こえて来る。レイはゆっくりと立ち上がると、大きな窓の前に立った。
星屑をちりばめた様な風景を見ていると、レイの心は再びざわめくような不安に襲われた。
(私は、本当にここにいてもいいのだろうか?)
全ては、自分の身勝手が起こした事なのに。私は誰かを深く傷つけているのではないか?自分のせいで、自分と同じ様な苦しみを感じている人がいるのではないか。こんな方法で彼を繋ぎ止めたって、それは彼の幸せを意味するものではないではないか。
ああ、私は、どこまで身勝手なのだろう。けれど、私は彼なしで生きていく自信など少しもない。
そう思うと、レイの頭は混乱し、どうしたらいいのか全く分からなくなってしまった。
(やっぱり、私は生きていちゃいけないのよ……)
ふとそんな考えがレイの頭をよぎった。 レイは、何かにとり憑かれた様な表情で、バルコニーへ続く窓の鍵を外すと、ゆっくりと開けた。と同時に冷たい風がレイの頬を強く撫で付け、ダイニングテーブルに置かれていた郵便物を舞い上げた。