16章 夢のあと1 -浅い春-

16章 夢のあと

4月の終わりの空は、柔らかな光りに輝き、春とは思えないほど澄んでいた。レイは部屋のカーテンを閉めると、スーツケースを玄関の外に出し、部屋の中へ向き直った。

ゆっくりと部屋を見渡し、目を閉じると、瞼の中をエドと過ごした日々が次々と浮き上がっては通り過ぎていった。大切な物を箱の中に丁寧にしまうようにして、しばらくそうしていたが、やがて心の中の痛みを噛殺すように深く息を吐くと、ゆっくり目を開き「さようなら」と小さく呟いた。

軽く、クラクションを鳴らす音が聞こえてくる。ジェイだ。何度も断ったが、空港まで送ると聞かなかったのだ。

昨日は勤務していたDWIで最後の挨拶をした。別れ際、千夏は自分のトゥシューズをレイに差し出して「寂しい時は私を思い出して。どこにいても友達よ」と言った。

千夏は全てを悟っていたのだろう、突然アメリカに戻る事を告げた時も、帰国する理由を何も聞かず、ただ「あなたが心穏やかに過ごせるなら、止めないわ。私は寂しいけどね」と言っただけだった。

レイは鍵を閉めエントランスに降りると、少しためらったあと、手にしていた鍵をポストの中に落とした。それが、エドとの永遠の別れを意味するには、あまりにも軽く、あっけない音だった。

空港に着くと、レイはチェックインを済ませ、ジェイとコーヒーショップに入った。コーヒーを受け取りテーブルにつくと、ジェイはレイが軽く肩にかけているマフラーに目を留めた。

「ねえ、そのマフラーって……」

ジェイが言うと、レイは困った顔をして小さく笑った。

「思い切り季節外れよね……。エドのよ。……こうしていると彼が傍にいるような気がするの。……エドには内緒にしておいて」

ジェイは悲しそうな顔をすると
「レイ、あなたは彼を愛しているのに……、どうして……」と声を詰まらせた。
「……ジェイ、泣かないでよ。私はいつだって彼と一緒よ。彼が他の誰かを愛しても、私の心は永遠に彼の元にいるわ」
レイがそう言うと、ジェイは鼻水をすすり上げた。バッグからティッシュペーパーを取り出してジェイに渡すと、レイは窓の外に広がる空を見つめながら

「……私は不幸でも、哀れでもないのよ」と言った。
「どうしても、行くの?今なら、まだ間に合うのよ」

レイは、ジェイの質問には答えず、ゆっくりと立ち上がると、椅子に置いていたバッグを肩にかけた。
「そろそろ、行かないと……」
「落ち着いたら、居所を知らせなさいよ。エドには言わないから。わかった?」
慌てて立ち上がりながら、念を押すようにジェイが言うと、レイは返事をせずに微笑んだ。そして、セキュリティに入る前に、「ありがとう」と言うと、一度も振り返ることなくセキュリティチェックへ向かった。

ジェイが、レイの背中に向かって「体を大事にするのよ!」と叫ぶと、レイは一瞬立ち止まったが、振り返らず手だけを軽く振った。

ジェイは下唇を噛みしめ、レイの姿が見えなくなるまで、じっとその場で見送った。 そして、彼女を乗せたニューヨーク行きの飛行機が定刻どおり出発したのを確認すると、涙をこらえながら空港をあとにした。

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