15章 微熱 6 -去りゆくもの-

15章 微熱

chapter15

病院の待合室で、レイの処置が終わるのを待ちながらアーロンが不安げに聞いた。

「ジェイ、レイは……」

「……あの子、お腹に子供がいたんだわ」
まるで独り言のようにジェイが言った。

「えっ?」
アーロンが驚いてジェイを見た。
「でも、あの状況じゃね……、たぶんダメね……」
「……そんな」
アーロンは絶句するように言って下を向くと、涙目になりながら
「レイ……、可愛そうに……」と声を震わせた。

ジェイはやりきれない表情でため息をついた。

「多分、本人も自分が妊娠していることに気付いていなかったと思うわ。ずっと風邪気味だって言っていたから」
「……じゃあ、エドも、知らないって事?」
「知っていたら、あの子を残してロンドンになんか戻らないわよ」
「えっ?ロンドンって……、アメリカじゃなかったの?」
アーロンが目を見開きながら聞いた。
「ええ。あのクリスティが自殺未遂したんですってよ。それで戻ったの」
ジェイが苦々しい口調で言った。アーロンは少しだけ顔をしかめると
「エド、どうして……」と首を小さく横に振って、それきり黙りこんだ。

ジェイは落ち着かない様子で壁に掛かった時計を見た。

「ロンドンは今、何時かしらね?……ああ、何時かなんて、どうでもいいわ、そんな事。時間を気にしてる場合じゃないわ」
苛立ったようにそう言うと、携帯電話を持って外へ出た。

目を覚ますと、白い天井がぼんやりと見えた。そしてゆっくりと視線を動かすと、心配そうな表情をしたジェイの顔が、視界に入ってきた。

「……ジェイ、私」
「大丈夫よ、レイ」そう言ってジェイが、レイの頭を優しく撫でた。
「私、何か悪い病気なの?」
不安な表情でレイが聞くと、ジェイは少し困った顔をした。

「ジェイ?」
レイがいっそう不安な表情をした。

「……大丈夫、病気じゃないわ。ただ……」

「ただ、……何?」

ジェイは息を小さく吐くと、辛そうな表情で

「……レイ、あなたは流産したのよ」と言った。

「えっ?」

「10週目を過ぎたところで、流産しやすい時期だったの」

レイは混乱気味に、じっとジェイを見つめた。一体誰の話をしているのか、すぐに理解できなかった。

「……そんな、まさか。……私が?」

「やっぱり……。あなた自分でも気付いていなかったのね」

愕然とした表情のレイの目から、涙が溢れ出した。

「流産したのは、あなたのせいじゃないわ。原因のほとんどは、受精卵の異常で避けられないものだって、お医者様が言っていたわ」

レイは黙ったまま、シーツで顔を覆うようにすると、声もなく肩を震わせた。ジェイは彼女にかける言葉を見つけられず、ただ、じっと見守っているしかなかった。

しばらくすると、アーロンが優しいピンク色のチューリップを挿した花瓶を抱えて病室に戻ってきた。

「レイ、気分はどう?」
花瓶を置きながらアーロンが優しい声で聞くと、レイはゆっくりとアーロンの方を向き
「ありがとう。きれいね」と力なく微笑んだ。
そして、ぼんやりとチューリップを眺めたあと、レイが呟くように
「……きっと、流れるべくして流れたのね」と言った。
「お腹の子の存在に気付いていたら、私、きっとその子を楯に、彼を縛りつけようとしたわ」
「……レイ、そんな風に考えちゃいけないわ」
ジェイが諭すように言った。
「これで、良かったのよ。……何もかも」
レイはそう言ったきり黙った。

「……エドには」
ジェイがそう言いかけると、レイは弾かれたように体を起し
「ダメよ、言わないで!」と叫ぶように言った。
「……言っていないわ。電話したけど、繋がらなかったの」
その答えに、レイは安堵の表情をした。
「ねえ、彼には言っておいたほうがいいんじゃない?」少し遠慮がちにジェイが言うと、レイは
「いいえ。……知らない方がいい。彼にとって、知ることに何の意味もないわ」と言って、両手でシーツをぎゅっと握り締めた。

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15章 微熱

Posted by Marisa