もうひとつのジゼルの物語-序章-

序章,もうひとつのジゼルの物語-東京編-

序章

ニューヨークへの直行便は定刻どおり離陸の準備に入った。私は、ゆっくりと通り過ぎる窓の外の風景を、ぼんやりと眺めた。こんな気持ちで日本を離れる事になるなど、3年前の私に想像できたろうか?

私は今、諦めにも似た寂しさと深い喪失感を抱えて、シートに身を沈めている。

12年前――。そう、あの時も同じだった。

真夜中、私は突然の電話で起こされた。それは、母が事故に巻き込まれたという日本からの連絡だった。2日前、母は父に会うため、イギリスから日本に発ったばかりだった。空港から都心へ向かう高速道路で、父と母の乗った車が事故に巻き込まれたのだという。

私は不安と恐怖に震えながら、ひとり慌てて日本へ向かった。

日本に到着した時、両親は既に亡くなっており、案内された病院の薄暗い部屋には、父の親族が一同に介していた。私が部屋に入った瞬間、彼らの視線が一斉に私に注がれた。

『妾の娘だ』と。

名家出身の父は日本に妻子がおり、イギリス人だった私の母とは正式に結婚していなかった。和服を着た"父の妻"は、戸惑いながら私に英語で話しかけたが、私が日本語で答えると少し驚き、そして安堵したような表情をした。

「お母様のことはご愁傷様です」

そう言って彼女は、私を母の眠る部屋へ導いた。青白い顔で横たわる母を見て、私は、ようやく母が本当に亡くなってしまったのだと理解する事が出来た。その次の瞬間、涙が溢れ出た。母の体に取りすがって泣く私の背後では、父の親族たちがひそひそと何かを囁く声がしていた。

やがて父の妻が、私の肩にそっと触れながら言った。
「可愛そうに。けれど、私達はあなたに何もしてあげられないわ」

私は父の妻を見上げた。

「これを……」
そう言って、彼女は私に白い封筒を差し出した。

「……主人が、何かあった時はあなたに渡すようにと」
中には私の名前が記された預金通帳と印鑑が入っていた。

「国に戻る前に、これをもって銀行に行きなさい。こちらから国の口座に送金するといいわ」

何気なく通帳を開いてみると、そこには驚く様な金額が記載されていた。
「こんな大金、私には……」
戸惑いながら言うと、彼女は少し躊躇った表情をした後
「……何の落ち度もないあなたにこんな事を言いたくはないのだけど、これで今後一切、瀧澤の家とあなたは無関係ということを覚えておいほしいの」と言った。

その言葉で、私はその金額の意味を理解した。

私は「わかりました」と答えた後「……最後に父に……、父に会わせてもらえますか?」と聞いた。

父の妻は「ええ」と言うと、父のそばへ私を導いた。

もう何年も会っていなかった父の髪には、少し白髪が交じっていたが、私が覚えている穏やかな顔がそこにはあった。そっと父の髪に触れると、私の目から涙がこぼれた。

「お父さん、ありがとう」

そう言ってから、私はゆっくりと父の妻の方を向くと
「いままで私と母のことを、ありがとうございました」と深く頭を下げた。

父の葬儀に出ることは許されず、私は火葬された母の遺骨を小さな箱に入れ、イギリスに戻る飛行機に乗った。両親を亡くし、たった1人になってしまった私は、大きな喪失感以外、何も感じる事も、考える事も出来なかった。

そして今日、私は12年前と同じように、孤独と喪失感を抱えて、アメリカへと向かう機内にいる。 やがて、飛行機は次第に速度を増し、間もなく、ふわりと機体が浮かんだ。

私の目から涙がこぼれ落ちた。

さようなら愛しい人、どうか私を忘れて幸せに。

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