2章 春の風 2 -恋の予感-

もうひとつのジゼルの物語-東京編-,2章 春の風

2章 春の風

それから嶋田はコンサルタントとして、週に1度は―大抵それは木曜と決まっていた―、会社を訪れるようになった。レイは、スタジオの受付カウンターからガラス扉越しに彼の姿をたびたび見かけていた。

彼のおかげで総務部の女子社員たちは、かなり浮き立っている様子だった。総務部は社内で唯一、日本人スタッフばかりの部署だ。そこには、20代前半の女性が3人いて、その中でも立川安紗美は、彼に夢中らしかった。

安紗美は、若い女性に大人気の雑誌モデルに似た、今風の『可愛らしい子』だった。明るいブラウンに染めたセミロングの髪をゆるく巻き、いつもフリルやレースのついた甘い感じの洋服を着ている彼女は、千夏の言葉を借りると、『メイクもファッションも男に媚びた感じの女』だった。艶のあるまっすぐな黒髪を顎のラインで揃え、シャープなパンツスタイルが定番の千夏には、どうにも受け入れがたい存在のようだった。

レイはたまに見かける安紗美を、よい意味でも悪い意味でも「お人形さんみたいだ」と思っていた。

その日も、ランチ帰りの安紗美をエントランスで見かけると

「でも、日本の男はああいうタイプの女に弱いのよね」と千夏がため息混じりに言った。

「そうらしいわね」と答えると
「で、レイ、あなたも嶋田さん狙いなわけ?」と千夏が聞いた。

その言葉にレイは一瞬ドキリとしたが
「まさか、私は遠慮するわ」と答えた。

「なんだ、そうなの?この間も彼の事見てたから、てっきりあなたも彼狙いなのかと思ったわ」
そう言いながら、千夏はスタジオのガラス扉を開けた。

「みんなが騒ぐからよ。確かに美形よねって、観察しちゃっただけ」
「まあ、確かに、騒がれるだけあるわよね、彼。とてもフツーの会社員には見えないわ。それに彼ってね、スゴいエリートらしわよ」
「そうなの?」
「あっちの開発部で聞いたんだけど、彼、マサチューセッツ工科大学出身で、その後ハーバードビジネススクールでMBAをとったんですってよ」
「すごいわね。ハーバードもMITも名門だわ」

レイは感心するように言いながらロッカールームへ向かった。千夏はオフィスの窓際に設置されたウォーターサーバーからマグカップにお湯を注ぎながら

「それにね、コンサル業界で32歳でシニアマネージャーってスゴいらしいわよ」と言った。
「あのルックスで、エリート、と来られちゃね……」
レイがロッカールームから答えた。

「あっちでは、かなりマジで嶋田さんを狙ってる子もいるらしいわよ。あの立川とか」
「でも、嶋田さんって彼女の1人や2人いるんじゃないの?」
「そうよね。あれで彼女がいないって言う方がおかしいわよねぇ」
「いなくても、嶋田さんみたいなエリートに近づくのはちょっと勇気がいるわね。私から見れば、手を出す気も起らないようなラグジュアリーブランドだわ」

千夏が思わず『ラグジュアリーブランド』という表現に笑っていると、レイがチャコールグレーに淡いブルーのトリミングが施されたキャミソールレオタードと白い巻きスカート、というスタイルでロッカールームから出てきた。そして白いパーカーを羽織ると、手早く長い髪をひねってピンでまとめあげた。

千夏は、受付カウンターで受付簿を準備しながら

「自分に自信が無きゃ、彼を本気で落とそうなんて気にならないわよ。無謀すぎて。でも立川みたいにちやほやされてきたタイプは、根拠のない自信を持ってるから誰でも落とせると思っちゃうみたいよ」と言った。

「ある意味、羨ましいわね。そんなに自分に自信が持てるなんて。少し分けてほしいわ」

レイはため息混じりに言うと、スタジオのキーを持ってオフィスを出た。

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