5章 Lauren 2 -切ない想い-

もうひとつのジゼルの物語-東京編-,5章 Lauren

Chapter5 Lauren

ナツが心配していたわ。またあなたが踊ってるって。あなたがそんな風に踊るのは何かを忘れたい時でしょ?」
「別に私は……。こっちに来てから舞台に立つ機会もないし、単に踊りたかっただけで……」
ゴマかすように言うと、レイはグラスの中の淡い金色の液体に視線を落とした。

(千夏が、私の様子を察してジェイに相談したんだわ)と思った。

ジェイは、少しの沈黙の後、静かに

「……エド、あなたには嶋田さん、と言った方がわかるわね」と言った。

嶋田、という名前が出た瞬間、レイの心臓はドキリと音を立てた。

「……どうして、彼を知っているの?」
彼もここのお客様よ。本名はエドワードって言うんだけど」
レイは黙ったままグラスに残っていたワインを飲んだ。ジェイは空いたグラスにワインを注ぎながら聞いた。

「で、どうなの?」

「どうって……、別に私は……」
「嘘おっしゃい。でなきゃ、一体何を吹っ切りたいのか教えなさい。心配でしょうがないわ」

レイは、うつむいたままぎゅっと下唇をかんだ。そして、しばらく考えるようにしていたが、顔を上げると、観念したように、少し投げやりな調子で言った。

「バカみたいなのよ、私。彼とは、たった一度挨拶を交わしただけよ。そんな人がずっと気になるなんてね。けど、彼は総務の若い子といい感じよ」
「つまり、あなたは彼に一目惚れしちゃったってわけなの?」
「……良くわからないわ。ずっと彼が気になってはいたけど、好きだって分かったのはついこの間だもの」

レイは再びワイングラスに視線を落とすと、少し沈黙した後にぽつりと言った。

「でも、私の恋は絶望的」
そして自分を嘲るようにクスリと笑った。

「どうして?その若い子と付き合っているって、単なる噂でしょ?」
「そうかもしれないけど……。そうだとしても、私には無理よ。どう考えたって……」
「どう考えたって、って……、どうして?」
「彼のような人が、私を相手にするはずないじゃない」
「彼のような人?」
「そう、仕事もできて、見た目もよし、何事もスマートにこなす完璧なタイプ」
「そうかしらねぇ。あれで結構不器用よ、彼」
「彼が不器用でも器用でも関係ないわ。とにかく、私には無理よ」

レイは『もうこの話はたくさん』という口調で言うと、グラスに残っていたワインを一気に飲んだ。

「そんな事わからないでしょう?あなたはまだ何もしていないじゃない」
ジェイが諭すように言った。

「でも、私は彼と話す機会すらないわ。ただ見ているだけで……。どうしようもないじゃない」
レイはあきらめ切った表情で言うと、小さくため息をついた。
「どうしようもないのは、あなたが何もしようとしないからでしょ?」と言った。

当然の事を言われたレイは、返す言葉が見つからず、ぶっきらぼうに
「……何も、できないわよ。彼は私の手が届くような人じゃないもの」と言って、グラスに視線を落とした。

「当たって砕けろ、とは言わないけど、そんなんじゃ誰を好きになっても同じよ。あなたは自分が傷つくのが怖いのよ」

レイは、その言葉に、表情を硬くして顔を上げると、ジェイをまっすぐに見た。

「……ええそう、そうね、あなたの言う通りだわ。……私は怖いわ。拒絶されて傷つくことが……。そんな思いをするのなら、私は見てるだけのほうがいい」

すこしかすれた声で言ったレイの目が、少し涙ぐんでいる。

「彼が、あなたを拒絶するとは限らないでしょう?」
呆れたようにジェイが言った。

「……私はもう、傷つくのはイヤよ。拒絶されるのも、裏切られるのもイヤ。もう誰かを好きになんて、なりたくなかったのに。……こんなの最悪よ。……誰かに愛されたいなんて、そんな望みを持ちたくなんかないし、私がそんなことを望むなんてしちゃいけないのよ。こんな気持ち、彼に知られたら生きてなんかいられない」

とうとうレイの目から涙がぽたぽたと溢れ出した。

ジェイは、やりきれない表情で、声も無く泣いているレイを見た。ああ、まだ昔の傷が痛むのだ。だから誰かを好きになることが怖いのだ、と。

「……誰も愛してくれないなんて、そんなことはないわ。誰だって、誰かに愛されたいし、あなたがそれを望んじゃいけないなんて誰ひとり言っていないのよ。だから、そんなに泣かないで」
優しい声でジェイは言うと、泣いている子供にするように、レイの頭をなでた。

「ごめんなさい……、泣いたってしょうがないのに。ジェイ、あなたの言う事はいつだって正しいわ……。私は、ただの意気地なしよ」

レイは涙声で言うと、バッグからタオルを取り出して、涙をぬぐった。

「ね、レイ、昔の傷が痛むのはわかるけど、……少しだけでいいから、幸せな自分を想像することもしてみたら? 物事はね、悪いほうへ考えると、本当にそうなっちゃうのよ」

「でも……」
レイがそう言いかけると、ジェイはすかさず
「ダメよ、その“でも”とか“無理”って言葉も。そういう言葉が、自分を悲しくさせるんだから」と言った。

レイはほんの少し間をおいてから、“でも”という言葉を使わずに
「……私には、何を想像すればいいのかわからないわ。幸せな、自分って?」と聞いた。
「小さなことでいいのよ、とりあえず。例えば、そうねぇ……、お気に入りの場所で、おいしいケーキを食べながら紅茶を飲んでいる、とか」

ジェイの提案に、レイは涙目のままクスリと笑うと
「……ジェイったら、いつもケーキね」と言った。

「あら?あなたはおいしいケーキに幸せを感じないの?笑ってるけど、大切な事よ。ほんの小さな事でも幸せだって思うのは。ケーキがダメならオペラ座の舞台で主役を踊っている自分を想像したら?それなら出来るでしょ?」

その言葉に、レイは再び小さく笑った。
「楽しいことや幸せなことを考えて、笑顔でいるのが大事よ。笑顔でいれば幸せになれるわ」
ジェイはそう言いながら優しげな笑顔を浮かべた。

「さて、と。デザートにアイスでも食べる?あなたの好きな柚子シャーベットがあるわよ」

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