6章 Edward 3 -過去の影-

もうひとつのジゼルの物語-東京編-,6章 Edward

Chapter6

レストランを出て会社の前まで来ると、嶋田は自分の携帯番号とメールアドレスが記されたカードをレイに差し出した。それは、会社名の入っていないもので、おそらくプライベートの名刺なのだろう。

上品な紙質のカードは、日本語ではなく、英語でプリントされている。

「よかったら、連絡してください」
レイは、そう言われた意味がよく理解できずにいると、彼は「じゃあ、また」と言って、開発部のオフィスに入っていた。

レイはしばらく彼の名刺を手にしたまま、呆然としていたが、やがて
「レイ!何やってるの、そろそろ準備しないとレッスンに間に合わないわよ!」と言う千夏の声で我に返った。

レイは嶋田の名刺をバッグのポケットに仕舞うと、慌ててオフィスに戻った。
「お昼を買いに行くっていったきり戻らないから、どうしたのかと思ってたのよ。携帯は置きっぱなしだし」
「ごめんなさい。コンビニのつもりだったんだけど……」
「それは、いいけど……。時間ギリギリに戻るなんて珍しいから心配しちゃったわ」
「外に出たら、何となくパスタが食べたくなっちゃって」

レイは、嶋田と一緒だった事は言わないでおく事にした。立川安紗美のように、変な噂になったりしたら、嶋田に迷惑がかかると思ったからだ。レイはロッカールームに入ると、ジャージパンツを脱ぎ、黒のオーバータイツと巻きスカートを着けた。

時間を気にしながら、レイは先ほど貰った嶋田の名刺を取り出して、改めて見た。

“Edward L Oakridge"

彼の名前を見た途端、レイの表情が凍りついた。
「……Oakridge? Oakridgeってまさか」

するとその時、扉をノックする音が聞こえた。
「レイ、時間よ。そろそろスタジオに上がってね」と言う千夏の声。
「え、ええ!分かったわ」
レイは再び嶋田の名刺をバッグの中に戻すと、急いでロッカールームを出た。

その日、仕事が終わると、レイはジェイを訪ねた。店ではなく、1階のアトリエの方を訪ねると、ちょうど撮影から戻ったジェイとアーロンが片付けをしているところだった。

「レイ、ちょっと待ってね」
メイク道具を棚に戻しながらジェイが言った。

レイは荷物を床に置くと、アトリエの入り口近くに置いてある赤いソファに腰を下ろした。

このアトリエは、もともと、1階と2階だった部分を改装して作られていた。全体の半分は天井をぶち抜いて写真スタジオに作り替え、残り半分は1階と2階を保ったまま改装し、ジェイのアトリエになっていた。白を基調とした明るい室内には、いつも観葉植物や花が飾られている。レイは、壁にかかったモダンアートの額をぼんやりと眺めた。

しばらくすると、ジェイがタオルで手を拭きながらやってきた。
「で、レイ、今日はどうしたの?」
「名刺を貰ったのよ、嶋田さんに」
「あらそう」
「これなんだけど……」
レイが嶋田に貰った名刺を差し出した。
「あら、それ」
ジェイは驚いた顔でそれを見た。
「めずらしいわね。彼がプライベートの名刺を渡すなんて。ごく一部の人しか知らないのよ、彼のプライベートの番号やアドレスって」
ジェイは「へーえ」と意味ありげにニヤリと笑った。何となく、ジェイは嶋田の想う相手が誰の事を言っていたのか見当がついた。あの嶋田がプライベートの名刺を女性に渡すなど、特別な気持ちがなければあり得ない。だから、昨夜もレイの事を気にしたのだ。

「ジェイ、笑ってないで。私が聞きたいのは、彼の名前の事よ」
硬い表情をしてレイが言った。

「名前?」
「そう。オークリッジって、あのオークリッジなの?」
ジェイは、意外だという表情をすると
「……レイ、あなた知らなかったの?何も」と言った。
「私が知っていたのは、嶋田という姓と本名がエドワードだってことだけだわ……。まさかオークリッジ家の人間がこんなところにいるなんて……、そんなこと、一体誰が想像できるの?」
すこし動揺した様子でレイが言った。

「ジェイ、あなただって知っているでしょう?母の婚約者だった人を」

ジェイは近くにあったチェアをレイの向かいに置き、腰掛けると、小さく息を吐いてから
「確か、リチャード・オークリッジ、だったかしらね?……多分エドの叔父様ね」と答えた。
「よりによって、彼がオークリッジ家の人間だなんて……」
レイは混乱したように言った。
「でも、あなたやエドには関係のないことでしょ?」
「いいえ…、いいえ!……彼の叔父様を裏切ったのは私の母よ。関係ないなんて……。母は婚約者だった彼の叔父様を裏切って父と……」

そこまで言うと、レイは言葉を詰まらせた。

ジェイは立ち上がると、床に置かれていたレイのバッグを持ち「下に行きましょ」と言った。

そして、スタジオで片付けをしているアーロンに「アーロン、下に行くわ。あとお願いね」と言うとレイを促して下へ降りた。

スポンサーリンク