3章 KINGS 1 -エドワード-

もうひとつのジゼルの物語-東京編-,3章 KINGS

Chapter3 KINGS

デジタル・ウエーブ・インターナショナルからほど近いところに、KINGSはあった。周りには小さなショップが建ち並ぶ、ちょっと小洒落た一角だ。

そこは金曜と土曜しか営業しておらず、経営者であるジェイムズ・メイヤー(ジェイ)の知人たちが集まる、いわばメンバー制のようなバーだった。お客の殆どは日本でクリエイティブ関係の仕事をする外国人たちだ。彼らが週末にゆっくりお酒と会話を楽しめる場所を、とアメリカのバーさながらの店を作ったのだった。

通りから、蔦が絡まった石の壁がある階段を下りた地下にそのバーはあり、本業がメイクアップアーティストのジェイは、1階と2階をカメラマンのアーロン・ヘイルズと共同のアトリエとして使い、3階を住居として使っていた。彼らの仕事の多くはファッション関連で、2人の仕事は、とても美しく繊細で評判が良かった。

ジェイも、アーロンも美しいものが大好きなゲイである。

嶋田英都(えいと)もこのバーの常連だった。彼はイギリス人の父と日本人の母を持つイギリス人で、本名をエドワード・ローレンス・オークリッジと言った。そのファミリーネームと、彼の話す英語は、彼が上流階級出身である事を物語っている。『嶋田』というのは彼の母親の姓で、日本ではこちらの方がいいから、と日本名を使っていた。彼がKINGSに現れるのは大抵土曜の夜だった。

「あら、エド、いらっしゃい。久しぶりね」

ジェイが愛想よく彼を迎えた。

まだ時間が少し早いせいか、店内には3、4人のお客しかいない。エドは、顔見知りの先客たちに向かって軽く「やあ」と挨拶をすると、奥のカウンター席についた。彼はこの奥のカウンターでスコッチ――特にグレンフィディック――のロックを飲みながら本を読んだりジェイや他の客との会話を楽しむのが好きだった。

ジェイはいつも通りグレンフィディックのロックを作ると、彼の前に置いた。

「調子はどう?相変わらず忙しいの?」
「新しい取引先がいくつかできて忙しいけど、いい気分転換だよ。新しい人たちに会うのは」
「何か面白い出会いはあった?」
「特に面白いわけじゃないけど……」

エドが少し考えるように言うと、

「面白いわけじゃないけど、何か出会いがあったわけ?」とジェイが興味ありげに聞いた。
「出会いと言うほどのものじゃないけど、ちょっとね……」

エドは言葉を濁すように言った。

「ちょっとね、なんて。もったいぶらすに話したら?」

ジェイが少しへそを曲げたような表情をした。

「先月訪ねた取引先で紹介された女性スタッフなんだけど……、とても不思議な気分になった人がいてね」
「不思議な気分?」
「そう。よく分からないけど、不思議な気分。それ以来何だか気になって……」
「あーら、そう言うのって、一目惚れって言うんじゃないの?」

急に好奇心いっぱいの目をしてジェイが言った。

「一目惚れなんて、そんなんじゃないよ」
「あなたから女性の話を聞くなんて初めてだわ。いつもここに来るのは1人だし、女性の誘いにも乗らないし。てっきり私と同じ種族だと思っていたけど、違ったのね」

ジェイは冗談交じりにそういうと

「で、どんな人なの?」と興味津々の表情で聞いた。

「どんなって……。一度挨拶しただけで、よく知らないんだ」
「よく知らない?」
「ああ。彼女とは仕事でも全く接点がないから……。たまに姿を見かけるくらいで……」
「彼女に声を掛けてみたりしないの?」
「そんな簡単に声をかけられないよ。彼女のオフィスに入る理由が僕にはない」
「じゃ、お昼とか帰り際とか、その彼女がオフィスを出る時に会う機会はないの?」
「無いわけじゃないけど、……どう声をかけたら?一度挨拶しただけなのに」

戸惑うように言う彼を見てジェイは

「……あなたってそんなに男前なのに、案外奥手なのね」と少し驚いたように言った。

彼自身、こんな気持ちになったのは初めてで、実際に少し戸惑っていた。あの日、何人もの人達と挨拶を交わしたが、彼女は特別だった。たったひと目で、こんなにも強烈に、誰かに惹かれたのは初めてだった。

もちろん、今まで恋人がいなかったわけではない。けれどそれは、友人として付き合っていた女性だったり、友人の紹介であったり、少なくとも相手の事を少し知ってから恋をしていた。今回は、彼女についてまだ何も知らない。どんな人で、どんな日常を生きていて、どんなものが好きで嫌いなのか、何一つ知らない。これを恋と呼んでもいいのかも、彼には分からなかった。分かっているのはただ、あれから彼女の事がずっと頭から離れないと言う事だけだ。

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