15章 微熱 4 -決意-

1日をぼんやりと過ごしたレイは、午後7時を過ぎた頃、部屋を出た。4月とは名ばかりで、まだ外の空気は冷たく、レイは小さく身体を震わせると、ニットの帽子を耳のところまでぐっと下げた。
「どうしたのよレイ、急に」
突然アトリエを訪ねて来たレイに、ジェイは目を丸くした。
「……ごめんなさい。話したいことがあって」
「電話くらいしなさいよ、いなかったらどうするつもりだったの?」
「電話したわよ。でも繋がらなかったから……」
「えっ?そんなことはないはずよ」
そう言いながら、ジェイはお尻のポケットから携帯電話を取り出した。
「あら、いやだ!バッテリーが切れてる」
レイは、『ほらね』と言う表情をすると、ジェイは、「ごめん、ごめん」と苦笑いした。
「話すなら下へ行ったら?あとは僕がやっておくからいいよ」
アーロンが大きな窓のロールスクリーンを下ろしながら言った。
「悪いわね、アーロン」
「構わないよ。僕はもう少し仕事があるから」と微笑んだ。
店への階段を下りながらジェイが
「顔色があまり良くないわよ。まだ風邪が治らないの?」と聞いた。
「……ええ。なかなかすっきりしなくて。嫌になっちゃうわ」
レイがそう答えると、ジェイは
「そう……。じゃ、風邪に効くお茶を入れてあげるわ」と言ってカウンターの中に入ると、ステンレスのケトルに水を入れ、コンロにかけた。
「小分けしたのをあげるから、家でも飲むといいわ」
「ありがとう」
「それで、今日は何の話なの?エドは?」
ジェイが聞くと、レイは表情を曇らせ、目を伏せた。
「……エドは、ロンドンよ」
「ロンドン?アメリカじゃなかったの?」
ジェイが怪訝な顔をした。
「昨日の晩、電話があったの。多分、彼のお父様か誰か……」
「それで、……エドはロンドンに戻ったって言うの?……どうして?」
レイは答える事を少しためらったあと、ジェイと視線を合わせず
「クリスティが……、手首を切ったって……」と言った。
それを聞いた瞬間、ジェイの表情が険しくなった。
コンロの上では、ケトルの水が蒸気を吹き上げ沸騰しようとしている。ジェイは横目でそれをチラリと見ると、ガスを止めた。そして、黙ってティーポットにハーブティーを入れると、お湯を注いだ。ジェイが砂時計をひっくり返してカウンターの上に置くと、レイはさらさらと落ちる砂をじっと見た。
「……単なる、未遂なんでしょ?おおかたエドの気をひくためにやったのね」
ジェイが吐き捨てるように言った。
「エド心配だって。は自分のせいでクリスティが死のうとしたって」
レイが冷静な口調で言うと、ジェイは
「ずるい女ね」と嫌悪感をあらわにした。
「でも、彼女はエドをロンドンに戻らせたわ。あんなに戻ることを拒絶していた彼をね」
ジェイは落ち着き払って答えるレイを、心配そうに見た。そして一息つくと、棚からカップを出し、ハーブティーを注いだ。
「それで、エドはそのままアメリカに?」
「ええ」
「じゃあ、予定通りあなたもボストンへ行くのね?」
ジェイが聞くと、レイはさびしそうな表情で首を横に振った。
「……行かない。ボストンへは行かないわ」
「どうして?」
予想外の答えにジェイが目を丸くしながら聞いた。
「私はもう、彼には会わない」
「えっ?」 カップを持ち上げようとした手を止め、ジェイが怪訝な顔でレイを見た。