3章 KINGS 2 -ローレン-

日曜の午後、ジェイが『CLOSED』の札が扉にかけられた店内でアーロンと遅めの昼食をとっていると、ドアをコンコンとノックする音が聞こえた。ジェイが無視を決め込んでいると、
「ジェイ!いるんでしょ、私よ」と声がした。
「レイ?!」
ジェイはドアに駆け寄るとロックを解き、ドアを開けた。そこには、ケーキの箱を持ったレイが立っていた。
「何よ、来るなら電話しなさいよ。びっくりするじゃない」
「携帯、忘れてきちゃったのよ。これを買った後に電話しようとして気がついたの。この間、食べたいって言っていたケーキ」
「まあ!まあ!!本当に?!嬉しいわ!」
ジェイは嬉しそうにその箱を受け取った。
「まあ、入りなさい。コーヒー入れるわ。一緒に食べるでしょ?」
レイは店に入ると、カウンターに座ってサンドイッチを食べているアーロンに
「Hi、アーロン」と手を振った。
「やあレイ。珍しいね、日曜に来てくれるなんて」
「買い物に出たら、思い出したのよ、ケーキのこと」
アーロンの隣に座るとレイは、立ち寄った雑貨店で買った小さなピアスを取り出し「これ、きれいでしょ?とても安かったのよ。どう?」と話を始めた。ジェイはカウンターの中で、それを聞きながらコーヒーを淹れ始めた。白地にバラの花がレリーフ状に浮き出したカップにコーヒーを入れると、彼女の前に置いた。
「はい。コーヒーどうぞ。だいぶこっちの暮らしにも慣れてきたみたいね」
「まあね。もう、あっと言う間の3ヶ月よ」
「あなたは日本語が話せるから、慣れるのも早いわ。慣れてくると楽しいでしょ?日本も」
「そうね。一通りのことに慣れたって感じかしら」
「あなたがABTを退団してこっちに来るって報せを受けた時にはびっくりしたけど……」
「あなたや千夏がいて、そして千夏が日本に呼んでくれたから、私はこうしていられるのよ」
そう言ってレイはコーヒーを一口飲んだ。
レイにとってジェイは兄同様の存在で、またジェイにとってもレイは妹同様の存在だった。簡単に言えば幼なじみと言うところだ。レイが唯一、本音を話せるのはジェイで、彼女の少しばかり複雑な生い立ちを知っている数少ない人間が、ジェイだ。
『瀧澤レイ』と言う名も、日本国籍を持たない今ではもう本名ではない。本名はローレン・メアリー・バークスフォードだったが、彼女がその本名を使うことは殆どなかった。
「で、どうなの?最近は」
「そうね……、仕事も日本での生活も楽しくなり始めてたってところね。会社の女の子達が、面白いのよ。最近、会社に出入りしている人にすごくカッコいい人がいて、みんなが大騒ぎしてるわ」
「そうなの?いいじゃない、目の保養になって」
ジェイは箱の中に並んでいる美しいケーキをお皿に移しながら言った。
「まあ、大騒ぎしてるのは総務の若い子たちだけなんだけど」
「若い子達って……、あなたたちだって十分若いでしょう、まだ28歳でしょ?」
「そうだけど、大学を卒業したばかりの彼女達とは違うわよ」
「で、あなたたちオトナは蚊帳の外ってわけ?」
「ほぼ、ね。スタジオ事業部にその美形は来ないし、私たちは彼女たちほど興味も無いし……」
「でも、そんな大騒ぎするほどの美形って、どんな人なの?」
「ハーフね、多分。ちらっとしか見た事無いんだけど、背が高くて……、文句無しの美形。俳優の……、えーと、誰だっけ?……その人をもう少し上品にして、あっさりさせた感じ」
「よくわからないわよ、それじゃ。でも見てみたいわねぇ、そんな美形」
そう言いながらケーキの載った皿をカウンターの上に並べた。
※ABT:AMERICAN BALLET THEATRE(アメリカン・バレエ・シアター)
世界5大バレエ団の一つ