4章 初夏 3 -レイの想い-

もうひとつのジゼルの物語-東京編-,4章 初夏

Chapter4 初夏

「レイにとって、彼に恋しちゃったって事は、予想外の出来事だったのよ、多分。あの子、いつもスタジオの扉越しに、たまに来る彼の姿を見てたわ。自分の気持ちに少しも気づかずにね」
「で、今日彼がその子と一緒にいるのを見て、初めて自分の気持ちを認めたってこと?」
「……残酷よね、そんな風に自分の気持ちを知るなんて」

千夏は少し泡が消え始めているビールを一口飲んだ。

それから、少し考えるようにして言った。
「私、あれ以来、彼女がめいっぱい笑ってるのって見たことないのよね」
「あれ以来?」
「アレックの事よ」
「ああ、婚約している相手がいるのにレイを騙してたあいつね」

ジェイは苦虫を噛み潰すような顔で言った。

「あの後、彼女怪我をして……。その時、心配でアメリカまで行ったんだけど、そりゃもう酷かったわよ。怪我じゃなく、精神的にね」
「そりゃ、ショックだったでしょ」
「相手が同じバレエ団じゃね……。あの時ばかりは踊っていれば何もかも忘れられるって法則は当てはまらなかったのよ」
「だから退団したの?あとちょっとでプリマになれたかもしれないのに」
「それ以外に逃げ道がなかったのよ。彼女なりに考えての事だわ。彼が視界に入らないところで踊りたかったのよ。恋愛が絡むと弱いから、あの子。それ以外ではものすごく強いのにね」

店内にはアーロンがセットしたのか、いつの間にかノラ・ジョーンスが流れている。千夏は少しのあいだ、その歌声に耳を傾けていた。そして

「彼女の歌声を聞くとね、なんとなく寂しそうなレイの顔が思い浮かぶのよねぇ」と言ってため息をついた。

「いつになったら、昔みたいに笑ってくれるのかしらね」
ジェイが寂しそうに言ってうつむいた。

「でも会社じゃ、あの雰囲気が若い子達の憧れみたいよ。少し謎っぽいクール・ビューティーですって。意味が分からないわ」
千夏が吐き捨てるように言うと、ジェイは苦笑いしながら顔を上げた。
「……とにかく、ジェイ、あなたになら話すと思うからレイを何とかしてよ」
「しょうがないわねぇ」
ジェイはそう言ってため息をついた。

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