7章 Patlic 3 -レイとパトリック-

午後3時を過ぎた頃、ガラス扉の向こうに千夏とパトリックの姿を見つけると、レイはエントランスに駆け出した。
「パトリック!」
レイの姿を見つけると、パトリックは満面の笑みで彼女に駆け寄り、思い切りハグした。
「やあ!2年ぶりだね、元気か?」
「ええ!来てくれて嬉しいわ」
レイがそう答えた、ちょうどその時、エントランスのガラス扉が開き、エドが入って来た。レイは彼に気づくとドキリとして、少し戸惑った仕草をした。
不思議に思ったパトリックは、レイの視線の先を見た。
エドが柔らかい表情で「こんにちは」と日本語で挨拶をすると、レイも日本語で「こんにちは」と返した。ニコリとしながら軽く会釈する千夏の横で、パトリックは少し驚いた表情をしたまま彼を眺めた。
「今の彼もダンサー、とか?」
パトリックが小声で千夏に聞いた。
「まさか!うちと契約しているコンサルタントよ。スーツを着てたでしょ?」と千夏が笑いながら答えた。
「へえ……、コンサルタント、ね。コンサルタントにしとくには勿体無いスタイルだ」
彼は感心したように言った。
「でしょ?社内の日本人女子が彼に夢中よ」
「だろうね」
「じゃあ、パトリック、荷物を置いたら社長に挨拶に行きましょう」
千夏はスタジオの方へパトリックを促した。
パトリックは、千夏に案内され、社長の里中に挨拶を終えると、千夏とともにスタジオ事業部のオフィスに戻って来た。
「さーて、踊るか。ロッカールームは?」
レイがロッカールームに案内すると、彼は鼻歌交じりにレッスン着に着替え始めた。そして、オフィスに隣接する講師用の小スタジオに入ると、パトリックは、長旅で固まった身体を少しずつほぐすようにストレッチを始めた。
しばらくすると、事務所で仕事をしているレイと千夏に踊りの相手を求めてきた
「レイ、あなた行ってらっしゃいよ。今日はロクに動いてないのに、いきなりあのパトリックと踊れないわ」
レイは千夏の言葉に苦笑いしながら
「私だって、プリンシパルと踊るなんてキツわよ」と答えた。
「じゃ、ローラ。ナツとは電車の中で十分話したから、今度はローラだ」
パトリックに名指しされたレイは「今日はもう新しいレオタードがないから汗臭いわよ」と言い残してロッカールームへ入って行った。
レイは予備でロッカーに入れてあった淡いピンクのレオタードに着替えると、パトリックの待つスタジオへ入った。
「少しだけウォームアップさせて」
「ああ、もちろん」
レイはバーに足をのせながら
「で、何を踊ればいいのかしら?」と聞いた。
「そうだな、……ロミオとジュリエット。バルコニーのシーン。今度の公演で踊らなきゃならないんだ」
「……ジュリエット、ねぇ。私あまり得意じゃないわよ。長い事ちゃんと踊っていないし」
「ちょうどいい、ダメだししてやるよ。恋するジュリエットの演技もしっかりやれよ」
パトリックは悪戯っぽく笑うと、エントランスに面した窓と通りに面した窓のブラインドを開けた。この講師用スタジオのブラインドが開けられる事はあまりなく、特にエントランスに面した窓のブラインドは殆ど閉められたままだった。
「いい天気だ。こんな日にブラインドを閉め切っているなんてもったいないぞ」
レイはウォームアップを終えると、トゥシューズに履き替え、パトリックの手を取った。
「じゃあ、ジュリエットがバルコニーから降りて来たところから」
スタジオに、プロコフィエフのロミオとジュリエットが流れ始めた。レイは軽く目を閉じ深呼吸した。